「吉本新喜劇」の笑いが飽きられない真の理由 「マンネリのワンパターン」は表層的な見方だ
吉本新喜劇は「マンネリ」などと揶揄されることもあるが、笑いに厳しいと言われる関西人を相手に長期にわたり人気を保って生き延びてきたことは紛れもない事実である。その根強い人気の秘密はどこにあるのだろうか。
「笑いを取ることだけに特化する」
最大の理由は、「笑いを取ることだけに特化する」という明確なブランド戦略があったことだろう。吉本新喜劇のルーツとなっているのは、1959年に始まった「吉本ヴァラエティ」である。うめだ花月で行われていたこの舞台は大阪の毎日放送で独占中継されていた。1962年頃に、吉本ヴァラエティは「吉本新喜劇」に改名された。この名称は当時人気を博していた松竹新喜劇を意識したものだ。笑いあり、涙あり、教訓もある松竹新喜劇に対抗するために、吉本新喜劇は「笑いの一点突破」を選んだ。小難しいメッセージやストーリーは一切省いて、ただひたすら底抜けに笑えるものを作ることを目指した。それが功を奏して、ブランドとして定着することになった。
吉本新喜劇の笑いの特徴は、いわゆる「スラップスティック(ドタバタ劇)」であるということだ。舞台上の演者は派手に動き回り、ここぞという場面では一斉に転んだりすることもある。関西弁の素早い言葉のやりとりに動きの笑いを掛け合わせている。
歴史的に見ても、テレビで人気を呼んだコメディには、スラップスティックの要素が強いものが多い。かつてコント55号やザ・ドリフターズが演じていたのも、体を張ったドタバタ劇だった。この手の舞台は生で見ると迫力があって見ごたえがあるのはもちろん、テレビ越しにもその面白さが伝わりやすい。吉本新喜劇はもともとテレビ向けに作られているからこそ、この形式をあえて選択したのかもしれない。
吉本新喜劇にはこれまでに低迷期があった。1989年には、客足が鈍っていた吉本新喜劇を立て直すために、「吉本新喜劇やめよッカナ? キャンペーン」が開始された。半年間で一定数の動員が達成できなければ、新喜劇を解体するという公約が掲げられたのだ。若手の座員が台頭してきた効果もあり、観客は順調に増えていき、新喜劇は何とか解体の危機を免れた。
その後、時代が移り変わっても、とにかく笑いを優先するというコンセプトだけはぶれなかった。だからこそ長く生き残っていくことができたのだろう。吉本新喜劇の座員たちは、毎日休みなく舞台をこなしている。そこで芸が磨かれて、笑いを取るためのノウハウが蓄積されていく。こうして吉本新喜劇はひとつのブランドとしての地位を確立した。
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