そして失恋したときにいやが応でもバレるのが、その人の「人格の有無」である。言い換えれば、「逆境における精神力の強さ」「悲観主義に打ちのめされるか、楽観主義で立ち直れるか」どうかがバレるのだ。
「酔いに任せても」何ひとつ変わりません
失恋時に悲観主義に浸る二流の失恋者たちは、まず山崎まさよしの「One more time, One more chance」を聴いたり、BIGBANGの「Nose, Eyes, Lips」を聴いたり、私が好きな台湾の歌手、ジェイ・チョウの「安静」を聴いたりと、とにもかくにも世界中の失恋ソングを聴くのに大忙しだ。
最悪のケースでは、ひとりで深夜のカラオケボックスに駆け込み、秦基博の「ひまわりの約束」を何回も歌い続けるのだから、もはやかける言葉もないだろう。
さらに「人として破綻」していらっしゃる場合には、ひとりでビールを飲みまくって酔っ払ったときに、酔いに任せて元カノ・元カレに電話して、しかも案の定、無視されてさらに打ちひしがれるといった、太宰治もびっくりの、「人間失格」の域に達していらっしゃる方も少なくない。
恋人は、フラれ際の態度ひとつで、その後の「せめていい思い出で残れるかどうか」の評価が定まる。
そして去り際に、尊敬に値する堂々たる態度をとることで、「ひょっとしてこの人のほうがよかったかしら」と、将来思い直してもらえるかもしれない「かすかな希望」を、酔いに任せて泣きすがることで台なしにしてしまうのだから、もはや「失恋者」うんぬん以前に「ひとりの人間として終わっている」といって差し支えないだろう。
これは恋愛に限ったことではないが、その人の真価は「最も傷ついた悲しいとき」にどう振る舞えるかにかかっていることを、声を大にして申し上げたい。
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