「ひとりぼっち」の時間を今あえて勧めるワケ 「人間関係」からいったん手を離すことの効用
互いに「空気」を読みあい、「あうんの呼吸」でやりとりをする。過剰に気配りをすると、かえって「空気を読めないやつ」だと思われてしまうので、ほどほどに、黙るべきところは黙り、口を開くべきときは開く。言葉に出さずに「同意している空気」や「疑問を感じている空気」を出して、相手に「察して」もらう……。
こうやって言葉にしてみると、あまりにも繊細で、高度なコミュニケーションだということがわかります。これほど繊細なバランス感覚を、当たり前のように要求され続けたら、「普通に人生を送る」だけで疲れ果ててしまっても、まったく不思議ではありません。
人間関係のストレスは、都市化の進んだ先進国であればどこでも、多かれ少なかれ、存在するものです。しかし、日本人はとりわけ、「空気が読めない人」や、「TPOをわきまえない人」に対して、厳しい視線を向ける文化風土を持っているといえるでしょう。
それは会社だけではありません。親戚づきあいや、いわゆる「ママ友」同士のコミュニケーションにも、それぞれ独特の、高いコミュニケーションスキルが求められます。コミュニケーションスキルがある程度の水準に達していないと、「当たり前の人間関係」を維持していくことすらできないのが、日本の社会です。
誤解のないようにお断りしておきますが、私は、日本人がこうした高いレベルのコミュニケーション技能を、一つの文化として共有するに至ったことを、素晴らしいことだと考えています。ただ、そうした高いコミュニケーションスキルが「当たり前」のように求められてしまう空気によって、気づかないうちに疲弊している人がたくさんおられることも、一つの現実だと思うんです。
「人間関係の維持」だけに費やす膨大なエネルギー
会社や家族、友人や恋人といったさまざまな人間関係を維持していくこと。実は私たちの人生のエネルギーの多くは、そのことだけに費やされています。
果たして、それでいいんでしょうか?
恋人と喧嘩をしないように、上司を怒らせないように、友人グループから外れないように、日々、多大な労力を費やす。そうやって、人間関係を維持することは、もちろん無意味ではありません。友人や恋人、家族や同僚との人間関係はかけがえのないものです。
しかし、それだけで、あなたの人生の時間を埋め尽くしてしまっても、良いのでしょうか。
私は、こう考えています。
人間関係は大切だけれど、それ自体は人生の目的ではない、と。
「人間関係を大切にする」ことは悪いことではありません。しかし「人間関係が人生のすべて」になることこそが、現代人特有の不幸を生み出している。
これは、精神科医として多くの人と接する中で得られた、ひとつの結論なのです。
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