サッカー弱小高が全国2冠王者に育ったワケ 柴崎岳を輩出した青森山田高校の育成哲学
「厳しさ」ということで言えば、私は「つねに褒めて伸ばす」ことには否定的な考えを持っています。
これは、20年以上高校生を指導してきて危惧していることなのですが、最近の若者たちには、上を目指そうという闘争心やハングリー精神が欠けてきているように感じてなりません。これは、近年の教育において「褒めて伸ばす」が浸透していることと無縁ではないでしょう。
「褒めて伸ばす」方法に足りない部分
どんなことでも、むやみに褒められることに慣れてしまっては、褒められる本当の価値や喜びを得られないままなのではないでしょうか。
仮に80%程度の力でやったことを、「すばらしい!」「よく頑張った!」と評価されてしまったとしたら、「よし、次は100%の力を見せよう」と考えるかというと、そうではない。「これが限界だ」と考えたり、力を出し切って失敗するのが怖くなったりして、残り20%を出してチャレンジや冒険はしないでしょう。自分の真の力に気付かないまま、ということも考えられます。
試合か何かの結果で、挫折や敗北を味わったとしましょう。それでも100%の力を出し切って、夢や目標に向かって死にもの狂いで頑張ってきた人だけが、その後の人生で勝利のチャンスに結び付くような、「価値ある挫折」「意義ある敗北」を経験できるのではないでしょうか。
私は、部員がたとえ、難しいシュートを1本決めたからといって、安易に褒めたりしません。「いつでもできるように、その感覚を忘れるな!」というくらいの言い方をします。
褒めるのは、練習を積み上げて、そのシュートを当たり前に決められるようになってからで良いという考えでいます。
人間は満足した瞬間に成長が止まってしまう。だから、褒めて若者をむやみに自信過剰にさせることは、無責任な指導です。「自信」と「過信」の区別をしっかり理解させなければ、そのプレーヤーが、本当はもっと伸びる素質を持っていても、力を成長させ切れずに終わってしまうことになりかねません。
そもそも、80%の力を褒めるのは、高みを目指している彼らに失礼ではないでしょうか。「君はまだまだやれるし、もっとできるはずだ。現状に満足せず、自分の全力を知って、さらにその限界の天井を叩き続けてほしい」、そう伝えるほうが、指導者として誠実だと私は思います。選手に対する無責任なアプローチは避けるべきです。
柴崎岳が青森山田中学に入学したときの事です。私は彼にこう言いました。「お前はJリーガーにはなれるだろうが、日本代表になるためには、監督やコーチから何でもかんでも指摘されているようではダメだ。弱点の『自己発見能力』と『自己改善能力』を持たなければならない」。
その後、彼は改善すべき弱点を自分で見つけて、克服していく努力を続けるうちに、みるみる成長していきました。
もちろん、指導者が自分に甘くては、選手は付いてきません。練習メニューや勝つための戦術を必死に考えたほか、大型バスの免許を取得して、全国の高校と練習試合をするためにひと夏で7200キロといった距離をひたすら運転してあちこちを回りました。
チームや仲間のためにも、自らを全力で追い込み、本人が限界だと思っていた天井を破るような成長を遂げ、真の達成感や喜びをつかみ取ってほしい。指導者やリーダーは、自らが先頭に立ちつつ、そうした思いを育てようとする人材に伝えていくことが大切だと考えています。
(文中一部敬称略)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら