サッカー弱小高が全国2冠王者に育ったワケ 柴崎岳を輩出した青森山田高校の育成哲学
青森山田高校サッカー部の監督に就任したのは、今から22年前の1995年のことです。当時、私は25歳で監督の経験は一切なく、大学を卒業後、ホテルと公立高校で数カ月間だけ働き、あとは少しの間、高校でコーチをしただけ、という状況でした。
言うまでもなく、その頃のサッカー部も、常勝軍団といわれる今の姿からはほど遠いものでした。グラウンドはラグビー部と共用。しかも人工芝ではなく、土でボコボコのひどい状態でした。部員はチーム発足時には18人で、技術的にも精神的にも未熟。それでも監督をする以上、どうしても全国大会に出場したかったし、勝てるチームを作りたかった。初めはとにかく、がむしゃらな気持ちで、まずは日常生活で良い習慣を身につけさせることからスタートしました。
「雪国」のハンデを覆すために考えたこと
しかし、現実に目を向けると、「雪国」という自然環境のハンディキャップはやはり厳しい。最初はそう感じたのも事実です。青森山田高校のある青森市は、年の3分の1は雪で覆われる豪雪地帯。12月から2月の厳冬期には、高さ2.44メートルのサッカーゴールの半分以上が雪で埋もれてしまいます。
いつでもグラウンドで心おきなくサッカーができるチームがたくさんある中で、青森山田高校の選手たちには、それができないのです。
とはいえ、与えられている時間は平等。その期間に何に取り組むかが、勝敗を左右するのは間違いありません。私は「逆転の発想」をすることにしました。グラウンドに雪が積もってしまい、通常のサッカーの練習ができない。ならば、どうすればいいか。
「雪の上でしかできない練習」を行い、雪をチームの強化にうまく利用すればいい。そう考えて取り入れたのが、雪の上での練習(雪中サッカー)、そして、3月には練習スペースを確保するために、筋力トレーニングを兼ねてグラウンドの雪かきをすることです。
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