イスラムとキリストの分断が深まる国の苦悩 インドネシアで起きた政争めぐる大混乱

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中華系インドネシア女性はバスキ氏の実刑判決後、Facebook上に複雑な感情を吐露した

「インドネシアで生まれ育って。私はインドネシア語を話し、インドネシアという国を愛し、誇りに思っています。でももし、インドネシアという国が、私たちを愛し、守ってくれなければ、どうしたらいいのでしょうか? どうなるか見守りましょう。

国は、国のために身を粉にして働いてきた1人の公務員すら守れなかったのです。アホック(バスキ氏)は自分の国に裏切られました。すべての人々のためにあらゆることをやってきたのに、私たちはまだ極端な思想の持ち主たちにおびえなければならないのでしょうか? 2年の実刑とは! インドネシアでマイノリティであることよ……!」

生まれ育ったインドネシアを愛する者としての悔しさがあふれ出ていた。

彼女のコメントを見て、久しぶりに連絡を取ってみた。すると、彼女は自分の家族のヒストリーについて、丁寧に語ってくれた。豚骨ラーメンの女性と同様、祖父母の時代に、よりよい暮らしを求めてインドネシアに渡ってきたという一族。スハルト政権下では中国語が禁止されるなど抑圧された時期を経験、1998年の暴動では、彼女の母親が始めた飲食店の店舗も例に漏れず放火に遭い、略奪されたという。さらに、女性や子供がレイプされるなどの被害もあったそうだ。

しかし、苦難な時代を乗り越え、インドネシアが成熟した穏健なイスラム国家となった昨今では、差別を感じることも少なくなっていたという。

彼女の一族は皆、バスキ氏に投票したものの、思いは届かなかった。今、この選挙を通じて高まってきた宗教間の分断に、不安を隠しきれないという。

”隠れトランプ”ならぬ”隠れアニス”が意外に多くいる

先週、インドネシアに取材に出ると、イスラム教徒であるインドネシア人たちは口々に、中国人への差別意識はもちろんない、と善良な顔で主張した。しかし、企業経営の上層部にいるインドネシア人の友人(イスラム教徒)はこっそりとこう語ってくれた。

「表面的にはリベラルを装いながらも、アイデンティティであるイスラム教へのこだわりと、さらにはグローバルな流れの中、中国資本がどんどん流入している現状への焦りなどからも、”隠れトランプ”ならぬ”隠れアニス(知事選でバスキ氏を破り勝利したイスラム教候補)”が意外に多くいるのかもしれない。もちろん、ドナルド・トランプとアニスはまったく異なるけどね」

すっと、胸につかえていたものが取れたような気がした。つまり、リベラルを標榜し、人種や宗教による差別を嫌う人々の中にも、意外にもぬぐいきれないわだかまりが深く広がってきているのだ。

ジャカルタ特別州知事選は、2年後に行われる大統領選の前哨戦とも位置づけられていた。この思わぬ結果は、インドネシアの今後を占う重要なターニングポイントとなった。急速に世界の地政学的な変化が進む中で、密かに人々の間に溜まっている鬱屈した闇が、宗教間の対立をあおる政争の具に使われ、分断が深まるきっかけになる構図が、いまや世界共通になりつつあるのかもしれない。

海野 麻実 記者、映像ディレクター

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うんの あさみ / Asami Unno

東京都出身。2003年慶應義塾大学卒、国際ジャーナリズム専攻。”ニュースの国際流通の規定要因分析”等を手掛ける。卒業後、民放テレビ局入社。報道局社会部記者を経たのち、報道情報番組などでディレクターを務める。福島第一原発作業員を長期取材した、FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『1F作業員~福島第一原発を追った900日』を制作。退社後は、東洋経済オンラインやYahoo!Japan、Forbesなどの他、NHK Worldなど複数の媒体で、執筆、動画制作を行う。取材テーマは、主に国際情勢を中心に、難民・移民政策、テロ対策、民族・宗教問題、エネルギー関連など。現在は東南アジアを拠点に海外でルポ取材を続け、撮影、編集まで手掛ける。取材や旅行で訪れた国はヨーロッパ、中東、アフリカ、南米など約40カ国。

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