「厄年」が何の宗教に基づくか知っていますか 信者でもないのに教会に行ってもOK?
大将:「他の神さまを信じているヤツなんて、おりゃ許さねえ」とか? 十字軍か、懐かしいな。高校の世界史で習ったよ。「聖都エルサレムから異教徒イスラムは出てけ!」って戦争だったんでしょ? それから見たら、排他的だよな。
島田:確かに、社会情勢や政治が絡んだりすれば、強硬姿勢や対立が生じますね。でも、それは宗教に限ったことじゃない。たとえば、そこの1個だけ残った唐揚げ。お2人は「もう十分食べたから、いいか」と、なんとなく譲り合って残していますね。でも、お腹の空いた私が脇からこうしたらどうです――(と翔太の唐揚げを食べる)?
どうでもいいと思っていたものも、人が欲しがると話は別。当時のエルサレムだって、イスラム教国家が支配してから何百年もほったらかしだったんですよ。それが教皇ウルバヌス2世の演説をきっかけに、突然盛り上がっちゃうんです。もしこれが唐揚げでなく焼き鳥だったら、状況は変わっていたかもしれない。「腹ぺこなので、どうか半分を」と交渉する気持ちがあったなら。
大将:串から外せば、分けられるからな。ま、店としちゃ、やきとりは熱々を串からかぶりついてもらったほうが、おいしいと思うけどね。
島田:そこで、熱々を食べたさに独り占めしたい人がいたら、状況が混乱するわけです。あ、唐揚げのおわびに、こちらの熱々をどうぞ。で、ポイントは、「だからといって、唐揚げや焼き鳥が悪いわけじゃない」ということ。状況が争いをつくるんです。これは何でも同じで、宗教を火種に争いがあったとしても、イコール宗教が排他的だから、ということにはならない。
本来は宗教も寛容なもの
大将:オレとしちゃ、「まあまあ、仲良くやんなよ。もう1皿サービスするからさ」って言いたいね。て言っても、1皿ぐらいしかサービスできないけどね。
島田:宗教も本来は、大将のように寛容なんですよ。「信者が多ければ多いほどいいという世界なのでうちの宗教、いいぞ」と、どんどんサービスして信者になってもらいたい。でも経済的に無理ですから、せめて扉を開けて招き入れて、話を聞いてもらいたい。話すのはタダですからね。ですから開放的で、誰でも大歓迎なんです。
ハナ:ふゎ、ほっとした。じゃ、ホントに教会って誰が行ってもいいんだ?
島田:ん、それはどういうことですか?
ハナ:うちの近くの商店街にビルの2階が教会になっているところがあって、そこも毎年クリスマスにイベントをやってるんですけど、「部外者お断り」的な感じがするんです。だから正直なところ、「教会、ホントに行っていいのかな……」って思って……。
島田:それはプロテスタントの教会ですね。
翔太:わかるんですか?
島田:キリスト教は、大きく「東方教会」「カトリック」「プロテスタント」に分かれます。東方教会は日本ではごく少数なので置いといて、カトリック教会はおおむね開放的ですね。信徒は、どの教会にも自由に行く感じです。
プロテスタント教会のほうは、来るメンバーが割と決まっていて、別の教会の人があまり来ない。だから外から見たら、部外者お断りみたいに見えてしまうのかもしれない。でも、行ったら歓迎してくれるとは思いますけどね。まあ、教会に行くなら、「ここはカトリックなのか、プロテスタントなのか」くらいは調べてから行くほうが、翔太君が心配しているように、相手に失礼じゃないかもしれませんね。
ハナ:それって、「知は行の始まり」ってことですよね。
翔太:難しい言葉、知ってるな。
ハナ:うちの課長の口癖だよ。ええと、「初めての会社に営業に行くときは、その会社のホームページと社長のブログを読んでから行け」みたいな。
島田:確かに。無関心で何も知らないことこそ、最も失礼でしょうからね。それは相手が会社でも、宗教でも変わらないということですね。
ハナ:ということで翔太、クリスマスの予定は決定だからねっ。
翔太:んー。じゃ、クリスマスにその教会に行く件は、まあ認めよう。ただ、キリスト教の勉強とかは、ハナ、行きたがってるおまえがやれよな。オレはいっさい関知しないから。
ハナ:なんで?
翔太:だって、毎日の生活に関係あるわけじゃないし。オレは、宗教とは基本的に全っ然、無関係で生きてますからね。
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