ネトウヨと保守、右翼は何がどう違うのか 西部邁、中島岳志が師弟対談
──伝統の精神を守れば、保守でも現状を変えるのをいとわないということですか。
西部:保守を、現状維持と解釈してはいけません。現状とは過去から残された慣習の体系ですが、保守はそれを無条件に受け入れはしない。本当の保守は慣習という実体の中に歴史の英知のようなものを探りあて、それを今に生かそうとします。それが、どの変化を受け入れ、拒否するかの基準になる。ただ、歴史の英知には実体がない。「天皇陛下」や「靖国神社」は歴史の英知ではなく、慣習の体系です。その中に日本国民のバランス感覚がどう示されているかを、その時代、その状況において、皆が議論して確認する。そうした慎重な態度を保守思想と言うのです。
中島:右翼と保守の違いも考える必要があります。よく右翼は復古主義だと言われます。復古とはある一点の過去に戻りさえすればユートピア社会に回帰できるという考え。戦前の日本の国体論もそうですし、イスラム原理主義も同様です。保守からすれば、過去の人間も不完全な存在で、過去にも問題があったと考えざるを得ない。保守にとっての過去は分厚い歴史のようなもので、特定の一点への回帰ではない。これが日本の右翼思想と保守との大きな違いです。
西部:ドイツの哲学者カール・ヤスパースは「人間とは屋根の上に立つ存在である」と言った。どちらかに偏れば、右にも左にもすぐ転落する。それを避けるには、ただ一本の棒がバランスを取る役目を担ってくれる。保守はこれを伝統と呼ぶ。
リベラルの起源は寛容
──中島教授は「リベラル保守」を提言しています。リベラルとは何を指すのでしょうか。
中島:リベラルの根拠を探っていくと、いわゆる欧州の「30年戦争」に突き当たります。江戸時代の初期、ヨーロッパではカトリックとプロテスタントがずっと宗教戦争をしていて、価値観の違いによる殺戮(さつりく)を繰り返していた。1648年、これを何とか終結させようと「ウェストファリア条約」を結び、後の国際秩序を形成していく。このとき重視されたのが、「寛容」という概念です。世界には考え方の違う人間が多くいる。それに対してまずは「寛容」になり、そこから合意形成をしないと秩序が保てない。30年戦争の反省から出てきた「寛容」が、ヨーロッパのリベラルの起源です。
西部:英語でいうと、tolerance(トレランス)。これは忍耐とも、寛容とも訳される。自分も相手もいろいろ不完全なのだから、自分の不完全さにとりあえず忍耐し、その上で相手にもある程度寛容になることで、初めて議論が進むだろうと考える。議論で少数派の言うこともよく聞けばまっとうじゃないか、と考える態度も寛容さだということです。