アジア人は結局、米国で差別されているのか ユナイテッド航空事件で浮上した疑問
ところが「アジア人は優秀で、生活能力もあり、社会問題を起こすことが少ない」というようなステレオタイプな評価も手伝ってか、「自力で頑張れる人たちを社会が過度に支援する必要はない。よってアジア人はマイノリティと見なくていい」となってしまうために、アジア人たちが日常生活の中で知らずに受けて感じる差別感や不公平感は、注目されることなく社会に置き去りにされがちだ。「マイノリティなのに、マイノリティの仲間にすら入れてもらえない」という友人の言葉は、実に言いえて妙なのだ。
アメリカには、「マイクロアグレッション」という言葉がある。1970年にハーバード大学の精神医学教授のチェスター・ピアスが作った造語だが、これは自分とは異なる人種・文化背景の相手に対して、発言者が相手を傷つける意図なく、発した言葉の中に人種や文化に対する偏見や差別が含んでしまうことによって起こる「些細な攻撃」を指す。
アジア人が受けやすい「差別」とは
アジア系が受ける差別は、前出のユナイテッド航空の血まみれ事件のような暴力にまで発展するようなものは珍しく、ほとんどがおそらくこのマイクロアグレッションに入るのではないかと思う。たとえばこんなものが、その一例だ。
―目が細いコンプレックスがあるのに「なんて細い目なんだ!」と感動される
―高級フランス料理店に行ったら、なぜか自分だけテーブルセットが箸だった
―数学や科学が得意と勝手に思われる
―キリスト教徒なのに、仏教徒と思われる
―「犬を食べるって本当か?」と真剣に聞かれる
―白人夫との間に生まれた自分の子供と遊んでいるのに、ベビーシッターと間違えられる
アジア系に対する無意識な攻撃の中には、「相手への好意が裏目に出てしまい、結果的に差別になってしまった」というものも少なくない。上記の例だけみても、相手に悪気がなかっただろうと思える発言や行動があることはわかるだろう。だから相手に悪意がないと割り切って、これらを笑い話にできるような人も大勢いる。しかし、傷つく人、気になる人にとっては、小さなことでも差別は差別だ。
多種多様な民族、文化が共に暮らすアメリカにおいて、正直マイクロアグレッションなど日常茶飯事で起こる。こうした小さな誤認識に起因するような差別は、この国が多様性を追求した移民国家で成り立っている以上、消えてなくなるものではないだろう。解決策があるとすれば、「いちいち細かなことには気にしない」ということになるかと思うのだが、言うは易しで、こうした人種差別議論はこの国では尽きることはないのも現状だ。
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