「ミニシアター」はもう過去の古い文化なのか トレインスポッティング続編と映画界の20年
そして、『トレインスポッティング』の登場人物の変遷と同じく、作品を上映したミニシアター、そして日本の映画界は大きく変化した。
『トレインスポッティング』は、1996年11月当時、最先端のミニシアターだった渋谷のシネマライズで日本公開され、33週にわたるロングランヒットを記録。配給は独立系の映画会社アスミック(現アスミック・エース)が担当していた。しかし、続編の『T2 トレインスポッティング』を配給したのはメジャースタジオのソニー・ピクチャーズ。ソニー・ピクチャーズ傘下のトライスター・ピクチャーズが製作に入っていることもあり、必然的に配給権を獲得することとなったというわけだ。
公開本数がミニシアターで消化できないほど激増
同社の映画営業部・浅見準エグゼクティブディレクターは「当時、松竹富士という映画会社に勤めていたのですが、『トレインスポッティング』を上映している劇場はいつも満員でした」と、当時を振り返る。まだ座席指定が普及していないころで、立ち見も出ていたという。「あの頃のアスミックのスタッフはみんなキラキラしていて、うらやましいなと思っていました。今回、『T2 トレインスポッティング』に携わることができて、大変喜ばしいことだと思ってます」と、浅見氏。
しかし、映画をめぐる環境は、21年で大きく変わった。映写のフォーマットはフィルムからデジタルに移行した。1990年代に流行した“渋谷系”ムーブメントはもはやない。ミニシアターブームは去り、映画興行は、シネコンのスクリーンが中心となっている。なによりも、『トレインスポッティング』のメイン館だった渋谷のミニシアター・シネマライズは2016年に閉館している。同様に多くのミニシアターがこの20年の間に閉館に追いこまれてしまった。
続編は、シネコンを中心に上映されている。当時と同様にミニシアターで作品を観ることは難しい状況だ。
浅見準エグゼクティブディレクターは、ミニシアターでの興行が難しくなった背景として、「1年間の公開本数が増えすぎた」と、指摘する。
2016年に上映された映画の本数は洋画・邦画を合わせて1149本。前作が公開された1996年の年間公開本数が598本だったことを考えると、21年の間に映画の公開本数が倍近くに増えたことになる。
かつて1980年代後半から1990年代にかけて起こったミニシアターブームの頃には、1本の作品とじっくりと向き合い、口コミを広げてロングランヒットを狙う、ということが許された。
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