国会もようやく3月6日に、国会法に基づき会計検査院に対して森友学園への国有地売却などについての検査を要請した。そして、翌7日に、会計検査院は検査の実施を決めた。財務省と国土交通省を検査対象とし、売却の経緯や売却額の適正性、関連する行政文書の管理状況などを調べる方針だ。
ただ、会計検査院の検査も万能ではない。検査結果が出るまでには数カ月かかるうえ、売却の適正性を問うだけで、政治家の関与の違法性まで問うものではない。
「無謬性」へのこだわりをやめさせる
森友学園問題をめぐる国会審議は議論がかみ合っていない、と国民の目に映るのは、問題の背景に「行政の無謬性」があるからだろう。「常識から外れているから間違いを認めよ」としゃくし定規に追及してものれんに腕押しである。野党も型にはまった責任追及の仕方でなく、行政府が誤りを認める契機をうまく作って、誤りを改めさせる方法を考えるべきだろう。
カギは、日本では特に強いとされる「行政の無謬性」へのこだわりをいかにやめさせるかである。国民が政府に間違いを許さない姿勢もこのこだわりを助長している。(頻繁なのは困るが)たまには行政も間違うこともある、という国民の認識が広く共有されれば、行政府も間違いを改めやすくなるだろう。間違いを認めないままごり押しされることが問題なのであって、間違いの責任者を吊るし上げにすることが主眼ではない。間違いがあれば早期に素直に改めてもらうことが大事だ。
行政府が「無謬性」という鎧兜を脱げる環境を、国民が広く醸成することで、こうした問題での行政の対応も国民の思いに近いものになってゆくことだろう。
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