これまでにも会計検査院は、貸し付けていない土地が無断で使用されていた案件など、国有財産の不適切な管理についてその都度指摘してきた。指摘を受けた所掌省庁は、それに従い是正した。会計検査院の検査結果はいわば「葵の御紋」であり、公式に検査結果として示されたものは批判することが許されず、従うしかないものと位置づけられている。会計検査院は検査報告事項のフォローアップも行っており、指摘事項が着実に是正・改善されているか、状況を把握している。
安倍首相が、内部調査でなく会計検査院の検査に委ねるとしたのも、こうした検査権限を会計検査院が持っていることを踏まえたものといえる。内部でお手盛りの調査をして批判を受けるぐらいなら、独立性を持った会計検査院に委ねたほうが客観性を保てる。
前提になっている「行政の無謬性」
ただ、会計検査院に委ねたもう1つの理由に、「霞が関の面目」があることは否めない。前述のように、会計検査院の検査結果が出れば、各省庁はそれに従って是正・改善しなければならないが、是正・改善を行ったからといって、責任問題に発展することはない。面目を保つことができる。違法性がなければ、各省庁は当該事務事業を当時は悪意なく不適切でないものと認識して実施していたが、後に会計検査院が検査したところ問題があると指摘された、だから改めた、という体裁をとれる。
これは、いわば「行政の無謬性(むびゅうせい:判断に間違いがないこと)」を前提とした構造である。立法府たる国会で問題の追及を受けても、行政府側は「間違いはない」という答弁しか行わない(体面上そのようにしかできない)。国会で野党議員から間違いを認めよと突き上げられても、官僚は責任問題に発展するおそれもあって、容易に改めようとはしないが、会計検査院から指摘されれば全面的に指摘事項を認めて改める。こうした展開が、今からすでに予想される。
安倍首相が会計検査院に委ねるとした意図は、ここにもあろう。
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