彼女たちが発端となった女子高生ブームは、全国に広がった。使用済みのブルマやセーラー服を販売する「ブルセラショップ」やミニスカートの制服+ルーズソックスで脚を見せるファッション、「チョベリバ」(超Very Bad)・「チョベリグ」(超Very Good)などの略語なども登場し、マスメディアが注目。オヤジたちは、最近の若者の性と言葉が乱れている……と、眉間にシワを寄せながら彼女たちを抱き、そして彼女たちの仲間に“オヤジ狩り”されるという、世紀末的な文化を生んだ。
社会的責任がなく、どこまでも快楽を追求できる10代に、たった数時間でアルバイトの1カ月分の収入を得る経験をした当時の女子高生たちは、今やアラフォー。若い頃にやんちゃをしていた人ほど、そこそこの家庭に落ち着き、子どもを産んで母になっていることを実感している。その代表的な人物が、松山加奈子さん(仮名・39歳)。彼女は現在、専業主婦をしており、東京都国立市で男の子2人を育てている。
援助交際を始めたのは17歳のとき
1977年生まれの彼女は、東京渋谷区にある女子高校に通い、雑誌のスナップなどにも登場する“かわいい子”だった。女優の中山美穂さんを思わせるアーモンドアイと、ゆるんだ口元がセクシーだ。小学6年生の息子がいるとは思えない。当時の話を伺った。
「もう22年も前で、時効だよね(笑)。エンコー(援助交際)を始めたのは17歳のとき。紹介してくれる女のコがいて、30人くらいの男の人とエッチしたかな。高校3年になったらババアになると思っていたし、中3のときに初エッチは済ませていたし、遊びたい盛りだったので、罪悪感とかいっさいありませんでした」
当時、1回のエッチで5万円からスタートだったという。
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