「敷居が高い」という便利な表現の深い真意 外国語では訳せず、理解も難しい

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つまり、双方とも自己を問う意味を持ち合わせてはいますが、その比較の対象が「外向き」(自分の外にあるもの)か「内向き」(自分自身)という違いがあるということです。

第三者の目

私は、この「敷居が高い」という日本語の意味に含まれる「内向き」のベクトルこそ、外国語では簡単に訳すことも、理解することも難しい日本の精神だと思うのです。ではこの「内向き」のベクトルとは、どのようなものなのでしょうか?

これは、「第三者の目」というものに関係しているように思えます。たとえば、小さな頃、私はよく祖母から「いくら隠れて悪いことをしても、仏さま、おてんとうさま(太陽を敬い 親しんでいう言い方)、おばあちゃんは見てるからね」と言われ、悪いことをしないように諭されていました。だから、どんなに嘘をついて悪いことしたことを隠しても、必ず見つかってしまうということで、悪いことをしたときは素直に白状していました。これが「第三者の目」です。きっと、同じようなことを言われたことのある方も多いと思います。

実は、これは自分に正直になるということを促す一つの手段なのです。人は基本的には弱いものです。自分の嫌な部分から目を逸らしてしまうのは仕方のないことです。そんな弱い心を支えるために「目には見えない第三者」を立てて、自分と向き合う機会を作るのです。結論すると、誰も自分に嘘をつくことはできません。どんなに自分の過去や事実に嘘をつき、表面的に繕(つくろ)い、誰か他人をごまかせたとしても、自分だけには嘘はつけません。なぜならば、過去や事実は変えられないからです。

「敷居が高い」とは、自分と本当に向き合うという為(な)しがたい行動の心が反映された言葉なのです。そして、ここから生まれてくるのは、感謝の心です。もう一度、恩義を思い出し、改めて感謝の気持ちを持たせて頂くことが大切です。

私自身、さまざまな場所に足を運ぶことが多いのですが、普段から出入りしている所でも、ちょっと立ち止まって、その行き先と自分との関係を考えてみたいと思います。きっと「敷居が高い」場所だらけになってしまうでしょう。しかし、改めて、お世話になっていることへの感謝の念に思いを浸し、訪問させていただきたいと思います。

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おおぎ しょうじゅん / Shoujun Oogi

1982年、山口県生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶でありながら、通訳や翻訳も手掛ける。龍谷大学卒業後に単身渡米。カリフォルニア州バークレーのGraduate Theological Union/Institute of Buddhist Studies(米国仏教大学院)に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。帰国後は東京と山口県の自坊(超勝寺)を行き来しながら、僧侶として以外にも通訳・翻訳、執筆・講演などの活動を通じて、国内外への仏教伝道活動を実施。翻訳著書も多数出版する傍ら、初級英語で仏教用語をやさしく解説した「英語でブッダ」(扶桑社)も非常に好評のほか、「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日系列)にも出演。
 

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