そういった動きの中で日本のラーメンは世界に広がっていった。世界進出の動きももちろんだが、日本に来た外国人が母国にそのすばらしさを広めていったというのが大きい。
1994年時点では、福岡の大名本店とラー博だけにしかなかった「一風堂」がその後多店舗展開に乗り出し、遂にニューヨークに進出。ここから一気に日本のラーメンの海外進出が加速した。
一風堂創業者・河原成美氏はこう語る。
「国ごとに水・粉が違うので本当に苦労しました。管理方法だったり物流だったり、そもそも気温・湿度も国によってまちまち。その中でどこでも一風堂の美味しいラーメンを食べられる工夫をずっと続けてきています。どのような環境下におかれても、それ相応の覚悟をもってやっています」
味やクオリティも以前に比べて格段に上がってきているという。私も無類のラーメン好きなので、海外に行くとどうしても一食はラーメンを食べるのだが、印象としては「値段は高いが旨くない」というものだった。ただ、実はここ5年以上は海外に行けていない。関係者の話を総合すると、この5年間に世界のラーメン事情は恐ろしいほどに変革を遂げていることがわかった。
「一風堂」が流通も変えた
米国は「一風堂」が流通を変え、ラーメン店が比較的進出しやすい土壌ができた。そしてヨーロッパでもラーメン店が盛んになってきているという。世界のラーメンに注目しているラー博・営業戦略事業部の中野正博氏にお話を伺った。
「ヨーロッパもここ5年ぐらいの間に急激にラーメン店が増えてきています。ダシ・旨味の強い食べ物ということで注目が集まっていますね。現在ロンドンには100軒以上のラーメン店がありますし、パリやデュッセルドルフもかなり盛り上がってきています。最近ではスイス、イタリア、スペインなどにも広がり、完全に日本食としてラーメンが浸透してきたといっていいと思います」
ラー博は日本から進出したラーメン店だけではなく、現地で生まれたラーメン店にも注目している。中野氏は語る。
「もちろん日本から進出したラーメン店は圧倒的に美味しいですが、数%ですが現地発信の美味しいラーメンも存在しています。特にヨーロッパでは、ラーメン作りの環境がない中、日本では生み出せないラーメンが誕生しているんです」
ヨーロッパにラーメン作りの環境がないとはどういうことか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら