背後には、トランプ氏があまりにも思い切って一線を踏み越え、さらに台湾総統である蔡英文をプレジデントと呼んだのだから、中国側が面食らった様子も読み取れた。もともと米国と諸外国との関係に「予測不能性」を持ち込む必要性を公言していたトランプ氏とはいえ、ジャブを飛び応えていきなり渾身のストレートを打たれたような衝撃が中国側にあったことは否めないのだろう。
レッドラインを越えてしまったトランプ
さて、ここで少し対中国外交における台湾問題の位置づけについて整理しておこう。
国と国との交際は、時に、形式的で意味のないものだと人の目には映る。われわれが台湾問題を考えるとき、台湾を「国」ではなく「地域」として扱うのは、現実とのズレを意識させる。実際、台湾には政府があり、他国の主権が及ばない領土に国民も抱えている。日台間には、中国に遠慮しながらではあるが交流もある。
どう考えても大使館か領事館でしかない組織を「台北駐日経済文化代表処」と呼んでいることを、「ばかげた茶番」と思う人がいたとしても、不思議ではない。
だが、政治家や政府高官がこれを「茶番」ということはない。彼らには、それだけ高い見識が求められているからだ。見識とは、最少リスクで最大の利益を自国にもたらすために、国際社会のなかで無用な摩擦を避ける知恵のことであり、その反対は、感情的な対立を煽り、無益で巨大な犠牲をもたらすことだ。
国と国の関係の基本とは、“疑心”である。互いに相手の真意を知る手段はなく、たとえ知ることができても、それは永遠を担保しない。そうした中で本来なら、相手から徹底的に攻撃力を奪い、安心したいはずだ。しかし、それをしないのは、お互いが「破壊に見合う利益がない」という認識を共有している、という安心感があるからである。その安心感を確認する意味で一線を設け、不安を払拭する形式的なやり取りを繰り返すのだ。
互いに対立しながらも首脳同士が合えばとにかく笑顔で握手するのはそのためで、同じように互いの原則を確認し合う。そして米中関係においては、「ひとつの中国」という確認こそが、これに当てはまる。言い換えれば台湾問題は、中国が米国の認識を確認する、重要な一線であったのだ。
そのレッドラインを今回、まだ大統領就任前とはいえトランプ氏が越えたのは、明らかにひとつの「見識」を飛び越えた行為であった。
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