宇沢経済学の根底にある「人間尊重」とは何か 「知の巨人」宇沢弘文先生の業績

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そして、宇沢先生は、ジョン・デューイが唱えたリベラリズムの観点から、市場による支配(新自由主義的な資本主義)と国家による支配(社会主義、共産主義)の両方を否定し、「資本主義、社会主義のどちらの考え方も、一人一人の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保するという要請をみたしてはいません・・・どちらの考え方も、一つの国あるいは社会のもっている歴史的条件を無視し、その文化的、社会的特質を切り捨てて、自然環境に対してなんらの考慮を払わないという点で共通したものをもっています」と述べている。

それなら第三の道は、あるのか?

宇沢先生が提示する第三の道は、ソースティン・ヴェブレンが唱えた制度主義である。「社会的共通資本」という概念も、元々、このヴェブレンの制度主義に端を発しており、宇沢先生自身、『社会的共通資本』の中で、次のように述べている。

「制度主義は、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするものである。制度主義の考え方はもともと、ソースティン・ヴェブレンが、十九世紀の終わりに唱えたものであるが、百年以上も経った現在にそのまま適応される。社会的共通資本は、その制度主義の考え方を具体的な形で表現したもので、二十一世紀を象徴するものであるといってもよい」

宇沢先生は、1991年にローマ法王ヨハネ・パウロ二世の要請に応じて、ローマ法王が100年に一度出す「レールム・ノヴァルム」という回勅のアドバイザーとしてバチカンに招かれたことがある。

最初の「レールム・ノヴァルム」は、1891年5月15日に「レールム・ノヴァルム 資本主義の弊害と社会主義の幻想」(Rerum Novarum - Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism)という題でローマ法王レオ十三世が出した回勅で、行き過ぎた資本主義によって労働者や一般庶民は無神論的唯物史観の社会主義(共産主義)への移行を望んでいるが、それは幻想に過ぎないとした。これは、カトリック教会が社会問題について取り組むべきことを指示した初の回勅であった。

これに対して、宇沢先生の進言を受けて1991年5月1日にローマ法王ヨハネ・パウロ二世が出した回勅は、「新しいレールム・ノヴァルム 社会主義の弊害と資本主義の幻想」(New Rerum Novarum - Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism)というもので、共産主義の弊害が明らかになった冷戦末期において、行き過ぎた資本主義の幻想に対して警告を発したものであり、社会主義と資本主義の二つの経済体制の枠組みを超えて、新しい世紀への展望を開こうというものである。そして、この直後の1991年8月にソビエト連邦で8月革命が起こり、共産党は崩壊することになるのである。(『始まっている未来 新しい経済学は可能か』内橋克人、宇沢弘文)

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