例えばある時期まで、結婚式と同居と出産の順番とその期間が違うだけで、常識外れとされました。ところが今どき、それを常識外れと非難する人は、どれだけいるでしょうか。
つまり時代が変わっても変わらぬ常識もありますが、変わる常識もあるということです。後者の場合、常に古い常識の持ち主が、葛藤を抱えながらも“新しいやりかた”に従うか、少なくとも古い常識や慣習を通そうと我を張らず、静かにしている努力が必要です。
あなたも、母上には一言も言い返せないご性格に加え、母上の申し出にも、退けるほどの理由を見いだせなかった部分があったのではないでしょうか。
母上はお嫁さんの出産前から立ち会って、あなたの子どもさんが生まれるその瞬間の喜びを共有したいと思われたのかも知れません。そのこと自体は、何の非常識もありません。
しかし夫人が、出産後の見舞いなら構わないが、その前の、陣痛と闘っている時は、姑の存在自体が重荷だと(多分、そのような理由で)、あなたに伝えたのです。
育った家庭によって常識は異なる
どのような理由でも姑に、その日は来るなとお嫁さんが言うなど、世が世なら考えられないことでしたが、今どきそれくらいの産婦の希望は、常識の範囲内です。
母上は最初こそ気を悪くされるかも知れませんが、日時か時間をずらしてほしいと言っているだけです。
母上も、ご自分の常識や思いとお嫁さんの都合とではズレがあることを学ぶべきです。それはあなたも同様です。世代間で異なる常識の衝突より深刻なのが、育った家庭により異なる常識です。常識とは、人間関係がスムーズに行くために要求される思慮分別である場合が多いと思いますが、その違いを針小棒大にしていさかっている場合も、少なくありません。
お宮参りや初節句の夫人との約束事なども、そのたぐいだと想像します。そこまで姑の行動を指図し、自分の思いどおりに運ぼうとする夫人が、よしんば排他的にすぎるとしても、それは許されないことではありません。あなたの家庭の行事の主導権は、あなたの母上にはありません。
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