第3の視点は、解決策は大きい政府でも小さい政府でもないことだ。問題は政府の規模ではなく、誰のための政府かということなのだ。改善策は圧倒的多数の人々が市場形成に与える影響力をその手中に取り戻すことだ。そのためには、利益の分け前を得られていない大多数の人々が自らの経済的権益を連合させて新しい拮抗勢力を形成しなければならない。しかし、「自由市場」と政府とを対抗させる現在の左派と右派の対立によって、不必要に、そして意固地なまでにこうした勢力の連合が阻害されている。
また、これも後ほど説明するように、今後の米国における最大の政治的分断は、共和党と民主党の間では起こらないだろう。起こるとしたら、大企業やウォール街の銀行や、政治や経済の仕組みを自分を利するように変えてきた超富裕層と、その結果、自らが苦境に立たされていることに気づいた大多数の人々の間においてであろう。私の結論は、この動きを逆行させることができるとしたら、その唯一の方法は、現在、ゲームのルール作りに対する影響力を失っている圧倒的大多数の人々を、50年前に広範な繁栄へのカギであった拮抗勢力として再集結させるために、組織化し統一することである。
3つの視点はグローバル資本主義の中心地たる米国に焦点を当てているものの、ここに描いた現象は世界各地の資本主義国でますます共通しており、米国で起こったことから学べる教訓は他国にとっても有効であると私は信じている。グローバル企業は、進出国のルールに縛られるとはいえ、巨大なグローバル企業や金融機関は、どこの国であれそのルール形成に影響力を発揮しつつある。自分を利することのない経済や市場のルールに対して無力感を感じている市井の人々がさらに不安感や不満を募らせれば、敵意むき出しの国家主義的な動きや、時には人種差別や移民反対などの市民感情を生み出し、世界の先進各国で政治不安が広がるかもしれない。
資本主義を救え
私たちが置かれている現実を人々に見せないようにしてきた数々の神話を崩していけば、私たちは資本主義を、ほんの一握りの人々だけを利するものではなく、私たちの大多数のために機能するものに変えることができるはずだ。歴史を振り返れば、過去の経験から希望もある。特に米国では、一定の周期で、少数の富裕層が持つ政治力を制限しつつ政治経済のルールを再適合させ、より包摂性の高い社会を作り上げてきた。1830年代には、ジャクソン主義者が市場の仕組みが普通の人々に資するようエリート層の特権を標的にしたし、19世紀終盤から20世紀初頭には、進歩主義者が独占禁止法を制定して巨大な企業合同(トラスト)を解体し、独占を規制する独立委員会を創設し、企業の政治献金を禁じた。また1930年代には労働組合や中小企業、小口投資家たちによる拮抗勢力を拡大させる一方で、ニューディール政策によって、大企業と金融界の政治力を制限した。
問題は経済だけではなく政治でもある。この2つの領域は分離不可能だ。事実、本書で私が描いてきた領域は従来「政治経済(ポリティカル・エコノミー)」と呼ばれ、社会の法則や政治制度が、どのように道義的な理念、つまり所得と富の公正な分配という中心課題に影響するかを研究してきた。第二次世界大戦後は、ケインズ主義経済の強い影響を受け、研究の焦点は分配問題から、景気を安定させ貧者を救済する手段としての政府税制や所得移転の問題へとシフトしていった。長年にわたりこのやり方は奏功し、高度経済成長が広範な繁栄を生み出し、それによって活発な中間層が出現した。拮抗勢力はその使命をきちんと果たしており、人々は政治経済のあり方を気にかけたり、社会の上層にある過剰な政治力や経済力を懸念したりする必要はなかった。だが今はどうか。人々は大いに懸念している。
ある意味で、本書は伝統的な問いと長年にわたる懸念を思い起こさせるだろう。そして本書が持つ楽観主義もまさにその長年の歴史の中に見出すことができよう。これまでにも幾度となく私たちは行き過ぎた資本主義を救ってきた。だから今度も私たちなら資本主義を救えると確信している。
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