トランプ大統領を生んだ米国民の怒りとは? 資本主義が「富める者」だけのものになった

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私が唱えてきた対応策は今でも有効ではあるものの、私はしだいに、それだけでは決定的に重要な現象を見落としていると考えるようになった。それは、政治的権力が企業や金融セクターのエリートたちにより集中するようになり、経済を動かすルールにまで影響を与えるようになっていることである。そして私が唱えてきた政府による解決策は(私は今でも使えると思っているが)、ある意味で的外れなものになってしまった。なぜならそこに、経済ルールを規定するという政府の基本的な役割を十分に組み込んでいなかったからだ。しかも悪いことに、そうなると論点が「自由経済の美点」対「活動家型の政府」の是非に陥り、いくつかの重要な論点、たとえば、現在の市場が半世紀前の市場に比べどれだけ異質なものになってしまったか、なぜ50年前にはうまく分配できていた繁栄が、現代の仕組みでは広く共有できなくなるのか、さらには、市場の基本的なルールとはどうあるべきかといった論点から人々の目がそらされてしまったのである。

私はしだいに、そんなふうに目をそらされたのは決して偶然ではないと思うようになった。大企業の重役や彼らを取り巻く弁護士やロビイスト、金融業界やそこに群がる政治家、百万長者、億万長者たちなど、「自由市場」を声高に擁護する者たちは、何年もかけて自分たちを利するようせっせと市場を再構築し、そうしたことが問題にされないことを望んできたのである。

ルールが「富める者」のために作り替えられた

私はこうした問題を、大きく3つの視点から扱う。

第1の視点は、市場がいかに資産をめぐるルール(何が所有可能か)や独占をめぐるルール(市場の力はどの程度まで許容可能か)や契約をめぐるルール(何が取引可能でそれはどのような条件下か)や倒産をめぐるルール(購入者がカネを払えなくなったら何が起こるか)に依存しているか、そしてそれらのルールがどのように執行されているかだ。

こうしたルールは自然に存在しているものではない。いずれも人間があれやこれやと決めていったはずだ。そして大企業や金融業界や富裕層が、過去数十年をかけて、彼らを監督する政治組織に対して影響力を増強させていくにつれ、ルールも変えられていったのである。

それと同時に、1930年代から1970年代後半にかけて、中心的な拮抗勢力として中間層や下位中間層が影響力を行使することを可能にしてきた労働組合や中小企業、小口投資家、地方や中央政治を拠点とする政党といった組織は弱体化してしまった。その結果出現したのが、富める者が持てる富をさらに増幅させることを目的に作り上げた市場だ。市場の内部で、中間層や貧困層から少数の上位層へと向かう、かつてないほど大きな事前配分が起こった。それが市場メカニズムの内側で発生しているため、ほとんど気づかれないまま進行したのである。

第2の視点は、このような所得や富の分配が社会にとってどのような意味を持ってきたかだ。市場において人々がどのような価値を持つかで給与が決まる能力主義の主張は、それ自体がトートロジー(その人に人徳があるから高給がもらえるのだという理屈)を生み、市場がどのように構築され、それが道義的にも経済的にも正当化できる状態かどうかという問いへの答えをはぐらかしている。実際は所得も富も、ゲームのルールを作れるだけの権力を保有している人々の手中に、ますますゆだねられているのである。

大企業のCEOや金融界のトップトレーダーやポートフォリオマネージャーは、インサイダー情報を使って自らの取り分を膨らませつつ、企業収益を増大することができるような市場ルールを推し進め、自分たちの報酬を自分たちで効率よく決めている。一方で、平均的労働者の給与は、先に述べたように政治面でも経済面でも対抗できる影響力を失ったために、ずっと上がらないままだ。ワーキング・プアとノンワーキング・リッチの両方が同時に急増していることも、もはや報酬が努力とは連動していないことを証明している。市場内部で未分配のままの富がトップに集中していくために、市場の外では、税金や給与を通じた貧困層や下位中間層など下部への大規模な再分配が求められることとなったが、こうした要請は、大きな政府か小さな政府かという煽動的な議論に油を注ぐだけであった。

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