しかし、人間はそれほど理性的な存在ではなく、自分の耳に心地よい話しか聞き入れず、簡単にウソに騙され、合理性に乏しい決断をしてしまう生き物なのだ。そして、トランプにとって、「真実」など、ゴミのようなものである。嘘でもホラでも、インパクトがあり、自分に都合のいい内容なら、自信をもって言い切ればいい。不確かな時代に確かなものを求める「情弱」の支持者は、それもそのまま受け入れる。
「I love the poorly educated」(私は教育水準の低い人々を愛している)と演説で吐露したが、それは彼らほど簡単に手玉に取ることのできる人々はいないからだろう。支持者は、トランプにとって都合のいい情報だけが循環する独自の「エコシステム」を作り上げ、マスメディアが必死で調べ上げた「事実」には耳を閉ざし続けた。人々は集会やツイッターの内容に熱狂し、無数の保守系ゴシップメディアが発信するガセネタや動画を見て、クリントンや現政権への憎悪を膨らませていった。
富める者は富み、貧しいものはどんどんと底辺に追いやる所得格差・教育格差の拡大、異常に高額な医療サービスや保育サービス、劣化するインフラ、麻薬や睡眠薬による中毒のまん延、銃犯罪の横行、産業の空洞化など、確かにアメリカのひずみやほころびは、簡単には修復できないレベルまで広がっている。大統領が民主党、共和党が上下両院の多数派を占めるというねじれ状態ゆえの膠着も大きな要因であり、すべてを民主党政権のせいにするのは酷だとしても、一貫して政界に携わってきたクリントンに責任の一端があると言われれば、否定するのは難しい。
クリントンの戦略ミス
クリントンのコミュニケーションについては、前回の記事でも触れたが、完全なイメージ戦略ミスだった。非知識層の男性が忌み嫌うのは「賢く強く冷たい女性」であろう。女性の印象形成に最も影響する「温かみ」に欠け、インテリ臭が抜けない。驚くのは「女性の敵」のような相手と戦ったにもかかわらず、女性の間でも思ったほどに票を伸ばせなかったことだ。
また、ヒスパニックや黒人投票者の間での支持も取り付けることができなかった。トランプ側に回った白人層の屈折した気持ちや置き去りにされた悔しさを理解し、もっと寄り添うコミュニケーションができれば、事態も変わっていたかもしれない。ところが、そうした人々を「deplorables」(嘆かわしい人々)と呼び、バカにし、突き放した。そんな「上から目線」のエリート主義が彼らの怒りに火をつけた。
まさに海図のない航海、未知の領域に踏み出したアメリカ。トランプはどのような大統領になり、どのようなかじ取りをするのか。一部には「変革のきっかけになる」という声もあるようだが、その言動をつぶさに観察してきた筆者としては、そこまで楽観的な気持ちにはなれない。共感しているように見せかけるのは巧いが、実は誰に対しても共感していない。激しく差別主義者的で、究極のナルシストで、怒りやすく、論理的な思考は全くできない。まさに「知性」や「品格」の対極にある人物だ。
ただ、もしかして、彼のこれまでしてきたことが、すべて、支持者を獲得する為だけの「演技」で、あの強烈キャラは、ブランド作りやマーケティング戦略の一環だったのだとすれば・・・。今は、そんなわずかな希望にすがるしかない。
誰もが予想していなかったトランプの当選。これを可能にしたのは、ひとえに両候補のコミュニケーション戦略の巧拙であったとしか言いようがない。たかが、コミュ力、されどコミュ力。詭弁家や詐欺師だけにコミュニケーションの力を独占させるのではなく、本当に力のある人、本物のリーダーこそが、コミュ力武装するべきなのに、日本ではまだまだその重要性が十分に認められていない気がする。生き馬の目を抜くような混迷と分裂の時代だからこそ、その力はますます必要になってくる。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら