トヨタ外国人副社長が吠えた「上司と戦え!」 豊田章男社長もほれたフランス人の出世術

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慶応義塾大学・三田キャンパスで、ルロワ副社長は経営論を熱く語った(記者撮影)

「上司と戦え」「模範となれ」「言い訳はするな」――。

トヨタ自動車のディディエ・ルロワ副社長は、同社初の外国人副社長だ。日本や北米、欧州などの先進国事業を統括する。役員報酬が豊田章男社長の約2倍となる6億9600万円に上ることも話題となった。

そのルロワ氏が、仏自動車大手のルノーからトヨタへ転じた経歴を交えて自らのリーダーシップ論を熱く語った。10月25日、ルロワ氏は慶応義塾大学の三田キャンパスで、500人ほどの大学生や大学関係者を前に講演を行ったのである。題して「The Power of Leadership, Passion and Fighting Spirit―トヨタの挑戦―」だ。

日本自動車工業会が若者に車への関心を高めてほしいという狙いで、大手メーカーの首脳が各大学で行っている「出張授業」の一環だ。

ルノーからトヨタへ引き抜かれる

ルロワ氏はフランス出身。大学卒業後、1982年に仏ルノーへ入社した。生産部門などでエンジニアとして頭角を表し、早い段階で工場長などへ昇進。組合が強い中、数々の困難を乗り越えながら、やがてカルロス・ゴーン氏(現・日産自動車社長)のもとで部門横断的に働くようになる。

「トヨタに入りませんか」。ルノーへ入社して16年が経った1998年、トヨタからヘッドハントの誘いを受ける。だが最初は「結構です」と断った。「カルロス・ゴーン氏と仕事をしていて会社を辞めるつもりはなかった。ゴーン氏の下で、強いリーダーシップがあれば物事は実現できるということを学んだ」。

一方、「トヨタウエイも素晴らしく、学びたい。正直数日間眠ることができなかった」。気持ちは揺れ動いていた。その後トヨタの製造部門のトップから直々にフランス新工場のドラフトを見せてもらう。「あなたのことは数年間フォローしていた。ぜひトヨタに入って下さい」と念を押された。ルロワ氏はそこでトヨタへの転職を決断。「自動車会社が工場を建てる機会はなかなかない。カルロス・ゴーン氏とトヨタ、どちらを取るか。私はトヨタを選んだ。正しい選択だった」。

だが、周囲は猛反対だった。「まったくおかしな判断だ」「日本の会社で働いたら組織(の論理)にやられちゃうよ」「すぐにガラスの天井に当たって上に行けないよ」など散々に言われた。「今でもこのような考えを多くの人が持っているが、私にとって重要なのは何が学べるかということ。だからイエスと言った」。

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