韓国大使の発言と、ナヌムの家で見たもの
最後に申し上げるが、申珏秀韓国大使が最近、韓国人の気持ちを冷静に代表するいいことを言っていた。われわれはいつまでも日本に謝罪を求めているわけではなく、昔の約束事(村山談話などの過去の謝罪)を守ってくれるように言っているだけだと。また韓国の新聞での一記者による原爆被害者に対する無神経な書き方は、決して韓国人一般の気持ちを代表していない、と。そして日本の若者は植民地時代に韓国人がどれほど辛い想いをしたのかを学び、韓国の若者は戦後日本がアジアの発展にどれほど貢献したのかを学ぶ必要がある、と。
私はこれに全面的に同意している。両国に存在する一部の極端な愚か者に両国の世論を代表させず、日韓友好で得をする大多数の私たちで、両国関係を育み、守っていきたいものである。
末筆ながら、私が以前、訪れたことのあるナヌムの家(韓国の慰安婦被害者の共同生活施設)で見た希望ある光景について書かせていただきたい。私はその昔、ナヌムの家を訪れたことがあるのだが、そこで働いているボランティアの人々の多くが日本人の若者だったのだ。そして日本人からの温かい慰労の手紙もたくさんハルモニ(韓国語で“御婆さん”の意)に届いており、将来を担う若者が誠実に暖かい気持ちでハルモニの傷を癒してくれていた。私は彼らこそ将来の日本を担う顔であり、新大久保のヘイトスピーチにいそしむ方々が日本を代表する日は来ないと信じている。
日本と韓国や中国がもめることで得をするのは、一部の政治家(いわゆるネトウヨにさえ受けていれば当選できる議員)と、憎悪をあおり、“憎しみの寄付金”を集めるヘイトスピーチ団体に限られるが、その経済コストという意味でも、日本の名誉という意味でも、若者にのしかかる“かばん”は大きい。
未来の日本の子供が背負う“かばん”には、安倍史観に沿った歴史に修正しようという無益な争いの火ダネが詰まっているのか、それとも過去からの教訓と、前向きで明るい国際関係が詰まっているのか。
その中身を詰めるのは、私たち一人ひとりの仕事なのである。
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