競争社会に子供を準備させることこそ学校現場の役割
相談内容とかけ離れた、太っちょコラムニストの独り言は、まだまだ続く。膨大な数の就職学生、そして迷えるエリート達になり損ねた人々に接してきた者として、昨今盛り上がっている教育改革に対して、一言提言させていただきたい。現実の社会に備え、成功の手はずを与えるのが教育ならば、なぜ教育現場では“平等という幻想”を子供にちらつかせるのか、と。現実の社会は十二分に“競争的で不平等”であるのに、なにゆえその競争社会に備えさせないのか、と。
仮に日本が強烈な福祉国家で、弱者救済に十分な予算投下と合意が得られる社会が待っているのなら、私は私の母のように、ファミコンを取り上げて押し入れの奥に隠して、隣町の駿台予備校まで子供を送り迎えしない。
しかし現実に容赦なきリストラ吹き荒れる、給与格差数十倍の格差社会が待っているのなら、水泳が早いか、スケートで4回転できるか、もしくは、あなたがどこぞの国の国会議員で、息子にやすやすと二世議員・三世議員にできるわけでもなければ、私はやはり子供からオンラインゲーム機器を取り上げて、河合塾とZ会に閉じ込める。そして大学に入っても危機感をもって勉強させ、早期にさまざまな社会人の話を聞かせて就職戦線に送り出すことだろう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら