トヨタ「86」 今さら乗ってみた 発売1年の軌跡、日本のスポーツカーは今
クルマ好きには有名な話だが、「86」は、トヨタが1983~87年に販売していた「カローラ/スプリンター」のスポーツモデル「レビン/トレノ」の車両型式番号「AE86」を車名の由来としている。「AE86」は小型・軽量かつFRという希少性に加え、人気漫画にも登場したことで、絶版後も息の長い人気を保っている。そのトヨタが資本提携先の富士重工業(スバル)の力も借りて、小型・軽量・FRという「AE86」の特徴を、現代へよみがえらせたスポーツカーが「86」(兄弟車のスバル車は「BRZ」)だ。
バブル前後はスポーツカーの全盛時代
低い車高に流れるようなデザイン。高い走行性能。昔はスポーツカーといえば若者の憧れだった。全盛はバブル前後で、有名なのはホンダの「プレリュード」(車両型式はBA4/5/7)や日産自動車の「シルビア」(S13)。プレリュードは1988年に約5万8000台、シルビアは89年に約8万1000台を売った。「86」を除けば、月間数百台がせいぜいの、今のスポーツカーでは考えられない数字だ。当時は「デートカー」とも呼ばれ、とくに「女性をデートに誘うために、無理してローンを組んでスポーツカーを買った」という逸話のある現在40~50代の男性も少なくないだろう。
彼らにはそれが青春だった。今年37歳の記者も、そんな少し上の世代の影響を受け、学生時代はアルバイトで貯めたおカネを注ぎ込んで中古の日産「スカイライン」(R32)を買い、社会人になってからは、背伸びして組んだローンで新車の「シルビア」(S15)を購入したクチだ。どちらかといえば、「カーマニア」「クルマおたく」の部類だったが。
一方、スポーツカーに憧れ、実際に購入にまで至る若者は、どんどん減っていった。1990年代後半以降は、ミニバンやSUV(スポーツ多目的車)など、利便性を優先した車種や経済性に優れたコンパクトカーなどの人気の高まりとともに、スポーツカー市場は縮んでいく。
そもそも、「86」の投入まで、スポーツカーから最も距離を置いていた日本の自動車メーカーがトヨタだった。トヨタは1999年に「MR-S」を投入(2007年に販売終了)して以後、新型スポーツカーの投入を控えていた。車内空間が狭く、たくさんの荷物も積めず、相対的な燃費もよくない「スポーツカーは現代に最も向いてないコンセプトのクルマ」(トヨタマーケティングジャパンの喜馬氏)で、販売台数を稼げないことが要因だった。