ロンドン五輪・闘将の「育てて勝つ」流儀 ロンドン五輪サッカー代表監督 関塚隆氏に聞く

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川崎フロンターレの監督を惜しまれつつ退任した後、関塚氏にはオリンピック代表を目指す若きU-21日本代表チームの監督オファーが届く。しかし、すばらしいチャンスに奮い立つ気持ちの一方で、一抹の迷いもあったという。最終的な決め手となったのは、追求してきた「育てて勝つ」マネジメントへの自信だった。

2010年8月、ロンドンオリンピックを目指すU―21日本代表の監督オファーが来たとき、わたしはこのすばらしいチャンスをつかみたいと強く思いました。

しかし、そこには一抹の迷いがあったのも事実です。

わたしは31歳で指導者になってからずっと、クラブのコーチ、監督をしてきました。しかし、一言でサッカー監督といっても、代表の監督とクラブの監督ではだいぶ仕事の内容が違います。

早稲田大学の監督の後、Jリーグが開幕してからは鹿島アントラーズなどで11年間コーチをつとめました。その後、監督としてJ2の川崎フロンターレをJ1に昇格させ、フロンターレは優勝争いをするまでのチームになりました。

しかし、代表は国を背負った戦いですし、各クラブチームから選手を選抜して戦うという点でもリーグ戦とは違います。その重責は感じました。

また、わたしは選手として代表候補まではなりましたが、実際には日本代表に選ばれたことはありませんでした。そんな自分がU―21の代表監督にふさわしいかどうか。

これまでの日本人の代表監督は皆、選手としても代表を経験していましたから、自分のなかでこのような点について考えをまとめる時間が必要だったのです。

チーム作りは「人作り」

そのように自分自身を見つめ直す中であらためて気づいたのは、わたしが「育てて勝つ」タイプの指導者であるということでした。

チーム作りとは、人作りでもあります。

チームが強くなるためには、一人ひとりの個の力が強くならなくてはいけません。その点では、「育てながら勝つ」ということが必要不可欠です。

コーチ、監督の経験の中で、鹿島アントラーズでは小笠原満男、中田浩二、本山雅志、曽ヶ端準、川崎フロンターレでも中村憲剛、川島永嗣といった若き才能と出会い、日本代表に送り出すこともできました。

このような自分の背景を振り返っていくなかで、若きU―21日本代表の監督を引き受け、ロンドンオリンピックに導くという重責を担うという決断に至ったのです。

(撮影:今井 康一)

島 大輔 『会社四季報プロ500』編集長

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しま だいすけ / Daisuke Shima

慶応義塾大学大学院政策メディア研究科修士課程修了。総合電機メーカー、生活実用系出版社に勤務後、2006年に東洋経済新報社に入社。書籍編集部、『週刊東洋経済』編集部、会社四季報オンライン編集部を経て2017年10月から『会社四季報』編集部に所属。2021年4月より『会社四季報プロ500』編集長。

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