南京大虐殺と、“日本人”としての娘の戦い 私と両親と娘にとっての「現代史」

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アメリカ人が持っていたのは「やらせ写真」ばかり

2007年は南京大虐殺70周年ということで、当時、アメリカ人の手でドキュメンタリー映画が制作されていた。これは、AOLのテッド・レオンシス副会長がスポンサーになり、昔の資料や証人を当たり、史実を忠実に再構成するという触れ込みだった。

しかし、レオンシス氏がこの映画を思いついたのはアイリス・チャンの自殺を知ったからだったというから、『レイプ・オブ・南京』を下敷きにしているのは明らかだった。

実際、日本軍が進駐した南京市内に安全区を設立して、住民を虐殺から保護したという欧米人たち、特にドイツ人のジョン・ラーべなどを「中国のシンドラー」と位置づけていた。つまり、ユダヤ人をホロコーストから救ったオスカー・シンドラーが、南京にもいたというわけだ。

この映画を制作するパープルマウンテン・プロダクションのロケ隊が南京にやって来たとき、娘は英語と日本語、中国語ができるということで、アシスタントとして駆り出された。彼らは、当時の日本の資料(雑誌や新聞など)を持ってきて、娘に、「この記事の内容は?」「この写真は?」と聞いてきたという。

そこで、娘は正確に訳して伝えたが、「そんなはずはない」と取り合ってもらえなかったという。彼らが持ってきたのは、たとえば、ほかの中国戦線で撮られた写真のキャプションを捏造して南京大虐殺の写真としているというような、日本人なら「やらせ」と知っているものばかりだったという。

「企画書の導入部に“日本軍は20万人以上を虐殺して、何万人もの中国女性をレイプしました”とあったので、本当に嫌な気分になった」と、娘は言ってきた。

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