私が尊敬する年収数億円の先輩は、毎年モデルチェンジされるアイフォーンやサムスンの最新機種には見向きもしない。それこそジュラ紀か白亜紀に発売されたような、カラースクリーンでさえない「ガラケー」を、これでもかというほど使い倒しているのだ。
まさに「携帯業界のブロントサウルス」
彼の携帯は、もはや音が出るのも不思議、着信や発信ができるのも奇跡に思えるほどで、ボタンの文字もすべて剥げ落ちている。サイズも桁外れに大きく、「携帯業界のブロントサウルス」とでもいうべき太古の携帯電話だ。
「そのガラケー、一刻も早く大英博物館に展示すべきでは?」と思うほど希少種と化しているわけだが、その先輩はそれでも買い替えようとしない。
「なぜ、そんな携帯を使いつづけているんですか?」と聞いたところ、先輩からこんな答えが返ってきた。
【1】自分に必要なものを知る:「自分なりの哲学・信念」があるか
「自分は携帯は音声通話しか使わないし、資源を無駄にしたくないから」
そんな「個人の哲学」に由来するというのだ。おカネは十分あるのに「これで十分だし」「他人に流されて無駄な買い物をして、資源を無駄にしたくない」というのがその先輩の信念なのだという。
これに対し、二流のビジネスパーソンの中には、まだまだ使えるどころか、まだ使いこなせてもいないスマホを、携帯各社のマーケティングと「新しいモデルを買い揃えたい」というミーハー魂に踊らされて、毎年買い換えつづけている人も少なくない。
そういう二流の携帯ユーザーと比較したとき、「個人の哲学」「自分なりの信念」にそって生きているという意味で、ある種見上げたポリシーではないか。
その購買行動に如実にあらわれる「他人が買おうと、自分にいらないものはいらない」という主体性・価値判断基準・行動力の違いに、一流の一流たる「独立自尊の美学」を感じるのである。
【2】買い物も“バリュー投資”:「自分で価値を判断する主体性」があるか
この先輩の自家用車は、なんと中古のシビック。
これもボロいガラケーと同じで、「自分が自動車に対して求めているのは『見栄』や『豪華さ』ではなく、たんに『安価で経済的に自分を運ぶ手段』なんだ」という。
ちなみに「大金持ちなのに乗っている車はボロい」というのは、世界有数の大投資家、ウォーレン・バフェット氏も同様である。
安い値段のわりによい性能というのは、氏の「バリュー投資」という哲学が、生活の隅々まで浸透していることを象徴しているのであろうか。
何も私は、別にボロい携帯を使いつづけること、古い中古車に乗りつづけることが一流の証だと言っているわけではない。
重要なポイントは、「まわりが欲しがるから、買っているから」という周囲に流された生き方ではなく、「自分の価値観に基づき主体的に決断を下しているかどうか」があなたの持ち物ひとつにあらわれるということなのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら