1901年に大統領に就任した共和党のセオドア・ルーズベルトは、就任直後こそ著名な黒人指導者のブッカー・T・ワシントンとホワイトハウスで食事をともにするなど、人種平等の思想を掲げていたが、テキサス州での黒人兵による白人男性の殺害事件を機に黒人大隊の兵士を全員除隊させてしまったことで黒人コミュニティーの信頼を一気に失ってしまった。
ただし、黒人社会の6割以上は1932年の大統領選挙までは共和党に投票していた。かれらの多数が共和党から民主党支持に転じたのはフランクリン・ルーズベルト(FDR)の二期目となった1936年の大統領選挙からである。黒人社会のリーダーたちは、当時南部を中心に行われていた残虐なリンチをこのルーズベルトが公に非難し、連邦政府機関を黒人に開放したことを歓迎した。その結果、二期目の選挙で黒人の75%が民主党のルーズベルトに投票した。
比較的近年に人種間の融和の歴史を大きく動かした大統領に同じく民主党のリンドン・ジョンソンがいる。ジョンソンは、1963年にJ・F・ケネディの暗殺を受けて大統領に就任した後、自ら副大統領として深くかかわった公民権法の成立を後押しした。また、彼はテキサス州の経済的に不安定な家庭で育ち、苦学する傍らヒスパニックの子供を教え、メキシコ系移民の劣悪な労働環境をみてきたことから、人種間の融和と同時に貧困の撲滅にも尽力し、マイノリティーの教育にも力を入れた。
民主党の大統領が社会的弱者に寄りそう姿勢は1977年就任のカーター大統領にもひきつがれ、今日の民主党の支持基盤を強固なものにしていった。学生時代にアメリカで黒人のルームメイトたちと交流した筆者の体験からしても、差別の歴史は、今日を生きる黒人にもいまだ生々しい記憶として刻まれている。
だからオバマ大統領の誕生とそれが象徴しもたらすであろう人種間の融和に、多くの人が期待を寄せた。彼に続く大統領はその融和の一歩をさらに前進させて然るべきであり、だからこそこれまでのトランプの人種差別的ととられた発言は絶え間ない批判を受け続けているともいえる。
戦略転換は遅すぎる
現実的に、この分野でのトランプの戦略転換は遅すぎるし、彼のこれまでの経歴を見ても説得力に欠ける。1960年代にマルティン・ルター・キング牧師の演説に耳を傾け、公民権運動から影響をうけたヒラリー・クリントンが共和党から民主党に転向し、児童擁護のミッションを掲げて政治活動に身を投じ始めた頃、若きトランプは不動産ビジネスの足場を固めるのに忙しく、差別主義者ではなくとも、マイノリティー含め社会的弱者の問題全般についてほぼ無関心であったと推察できる。
だが1930年代に黒人社会の支持を民主党に転換したFDRはもともと彼らの苦境に関心を寄せていたわけではなく、むしろ人種隔離を支持していたとされ、公民権運動家との対話も夫人のエレノア・ルーズベルトの尽力があったからといわれている。
彼の黒人の雇用と地位の向上が、政治的な意図と必要性をもって前進させられたのだとしたら、それは今回のトランプのマイノリティーへの歩み寄りにも少し似ている。残された時間は少ないが、トランプが彼らの課題に本気で向き合い、再びリンカーンの党としての共和党を前進させることができたなら、それは共和党にとっても黒人社会にとっても大きな一歩となるだろう。
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