プレイボーイと称される彼らが持つ本質 カッコイイお金持ちがいた時代があった
あの頃、海の向こうには、まだまだ知らない、かっこいいものがたくさんあった。そして、世の中が無邪気にそれらを欲していた。東京の感覚がスポンジのようだった時代といえるかもしれない。
「おしゃれな先輩がたくさんいらっしゃってね。たとえば、頭山秀徳さん。伊勢丹の役員をされて、その後に森ビルの相談役もされた方です。僕も彼もラグビーをやっていたので、中学の頃から知り合いなんですよ。練習が終わって、風呂に入って着替えたら、頭山さんだけ白い靴下をはいていたんです、昭和31(1956)年に。みんな汚い黒い靴下はいていた時代ですよ。僕はもう、衝撃を受けて、かっこいいなあ、どこで売っているんだろうなあって。頭山さんに教えてもらって、遠いゴルフ場まで買いに行きましたよ、靴下を。まだクラブも握ったことがなかったのに」
彼らをプレイボーイにしていたもの
その後は、数年間、会うこともなかった。大学生になった柴田さんはガールフレンドの部屋にいた。夜中にインターフォンが鳴り、ドアを開けたら、そこに頭山氏がいたという。下世話な修羅場を想像してしまうところだけれど、
「しょうがないなあ。飯でも食いに行くか」
そう声をかけられ、仲良くなったそうだ。
上質なものを身に着け、高くてうまいものを飲んだり食べたりしつけているから、プレイボーイと称されるのではない。物や体験から導きだされる行動こそが、彼らをプレイボーイにしていたのである。
(文:甘糟 りり子)
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