プレイボーイと称される彼らが持つ本質 カッコイイお金持ちがいた時代があった

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1960年代のロンドンを代表するとともにいまなおトップの現役フォトグラファー、デイビッド・ベイリー。1960年から『ヴォーグ』誌に所属し、頭角をあらわした。65年には女優のカトリーヌ・ドヌーブと結婚。私生活も注目されたセレブ・フォトグラファーである

あの頃、海の向こうには、まだまだ知らない、かっこいいものがたくさんあった。そして、世の中が無邪気にそれらを欲していた。東京の感覚がスポンジのようだった時代といえるかもしれない。

「おしゃれな先輩がたくさんいらっしゃってね。たとえば、頭山秀徳さん。伊勢丹の役員をされて、その後に森ビルの相談役もされた方です。僕も彼もラグビーをやっていたので、中学の頃から知り合いなんですよ。練習が終わって、風呂に入って着替えたら、頭山さんだけ白い靴下をはいていたんです、昭和31(1956)年に。みんな汚い黒い靴下はいていた時代ですよ。僕はもう、衝撃を受けて、かっこいいなあ、どこで売っているんだろうなあって。頭山さんに教えてもらって、遠いゴルフ場まで買いに行きましたよ、靴下を。まだクラブも握ったことがなかったのに」

彼らをプレイボーイにしていたもの

柴田 良三 / Alpha Cubic代表 1943年、東京都生まれ。幼稚園から大学まで成城学園に通う。1966年に証券会社勤務を経て、ヴァンヂャケット社に入社。1971年にアルファ・キュービックを設立

その後は、数年間、会うこともなかった。大学生になった柴田さんはガールフレンドの部屋にいた。夜中にインターフォンが鳴り、ドアを開けたら、そこに頭山氏がいたという。下世話な修羅場を想像してしまうところだけれど、

「しょうがないなあ。飯でも食いに行くか」

そう声をかけられ、仲良くなったそうだ。

上質なものを身に着け、高くてうまいものを飲んだり食べたりしつけているから、プレイボーイと称されるのではない。物や体験から導きだされる行動こそが、彼らをプレイボーイにしていたのである。

 (文:甘糟 りり子)

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