経済成長への「病的な執着」は日本を滅ぼす 異端の経済学者・セドラチェク、吼える

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――なぜみんな、躁の部分にとらわれてしまうのでしょうか。

まず、経済成長そのものに引力がありすぎますよね。どうしても引きつけられる。たとえば携帯電話は、そんなに頻繁に手にしていいものではないけれど、それでもやっぱり手が引きつけられる。

そういうときは、本当は水を差さなくちゃいけないんです。ところが経済は、水を差すどころか、もっと引力を強くしようとしている。

人間は絶頂で恐怖を覚える

――欧州では、そういった認識は一般的になりつつあるのでしょうか?

ヨーロッパの伝統、たとえば宗教の世界では、人間は神様に愛されながらも、すごく嫌がられているという両面があります。天使に近いところにいたかと思えば、悪魔の近くにも。ラブ&ヘイトですね。

トーマス・セドラチェク(Tomas Sedlacek)/1977年生まれ。チェコ共和国の経済学者。同国が運営する最大の商業銀行のひとつであるCSOBで、マクロ経済担当のチーフストラテジストを務める。チェコ共和国国家経済会議の前メンバー。「ドイツ語圏最古の大学」と言われるプラハ・カレル大学在学中の24歳のときに、初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの経済アドバイザーとなる

たとえば、古代ギリシャにポリュクラテスという王がいて、その王はあまりの繁栄と幸運を享受していた。しかし、あるとき予言者がやってきて、あなたは幸せすぎます、このまま続くと神々に嫌われてしまいますよ、と忠告され、自分が持っていた大事な指輪を海に捨てることにしたんですね。

それで万事OKかと思ったら、その後漁師から献上された魚の腹のなかに、なんとその指輪が入っていた。結局彼は、たいへんむごい最期を迎えるに至ってしまったのです。

この寓話からわかるのは、人間というのは、やっぱり絶頂に達したときに、そこで恐怖感を覚えるんじゃないかということです。そこで自動的に罪を覚えて、自分自身を罰してしまうんじゃないか。そういう視点から、経済のサイクルも説明できるんじゃないか、と考えたことがあります。

あと、古代ローマの主君たちが大きな宴を開くときには、必ず奴隷たちが後にいて、メメント・モリ、要するに死ぬかもしれない、死を忘れるなということを王に囁いていたそうです。そうやって、躁の状態に水を差すんですね。

私たちの文明は、やっぱり、弱いところより、強いところのほうを恐がっているんじゃないかと思います。

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