エチオピアで生まれる「最高級バッグ」の情熱 日本人起業家が現地で目指していること

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それに加えて、エチオピアは外資に対して閉ざされた国であり、外国の企業がビジネスをするにはとても難しい環境だ。エチオピア政府は外国投資を促進していると言うが、通信と金融セクターは外資を一切入れていないし、鮫島のような小さな企業には優遇措置はない。また実質上社会主義で強権支配を続けるエチオピア政府の下では税制などの制度が突然変わってしまうこともある。ビジネスをするうえで、先が読めない恐ろしさがある。

このような厳しい環境の中で、鮫島は忍耐強くエチオピア人の技術力を育ててきた。「うちのクオリティを追求すると、とても1000人などという規模は雇えない。うちの職人は15人だけれど、彼らがこれまで存在しなかった、でも確かな技術を身につければ、エチオピア全体に影響を及ぼすかもしれない。そして、エチオピアでもこのような質の高いものを生み出すことができるということを示したい」。

今後は日本以外での販売も視野に

これまではエチオピアで作ったバッグは日本でのみ売っていたが、今後は日本以外での販売も考えている。その一歩として7月末にはロンドンのファッション業界のバイヤーが集うファッションイベント“ピュア・ロンドン”に出品した。そしていずれエチオピアの工房は自分がいなくても回って行くようになってもらいたい、と思っている。

工房で作られ、完成したバッグを手にする鮫島弘子 ©Kiyori Ueno

将来的にはウガンダ、ケニア、ガーナなどアフリカ全土のそれぞれの土地にある“宝物”を見つけ出し、それを現地の人に磨きをかけてもらい、生産して売る、そういうことをしたい。エチオピアのシープ・スキンでそうしたように。「大きな会社を辞めて、自分がいいと思うものを妥協なく作り、自分の美学を100%追求している。好きな仕事をして本当に満ち足りている。そんな生き方に満足している」。

(文中敬称略)

上野 きより ジャーナリスト、元国連職員

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うえの きより / Kiyori Ueno

ブルームバーグ・ニュース東京支局、信濃毎日新聞社などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部、エチオピア、ネパールで働き、食糧支援に携わる。2016年から独立。慶應義塾大学卒業、米国コロンビア大学院修士課程修了。東京出身

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