インターネットの普及で、音楽活動は、レコード会社やプロダクションの力を借りなくて済むことになったら、誰でもある意味デビューできる。しかし、ネットデビューできることになっても、問題はその後だ。どうすれば、ヒットするか。人気が出るか。
参入が自由になったおかげで、むしろ、売れるアーティストの数はかえって限られてきた。あまりに多くの選択肢があり、誰を聞いていいかわからない。ネットで試せるといっても、何を試せばいいのかわからない。だから、今まで以上に、口コミやランキングを頼りにする。結局、目利きが、レコード会社やプロダクションから、ランキングや口コミという形に変わっただけのことなのだ。
「市場で勝ったもの」に価値を認める社会になってしまった
これはある意味、株式市場化したともいえる。つまり、株式市場に真実はない。音楽業界にも真実はない。いい音楽はない。ただ、売れた音楽が存在するだけのことなのだ。
株式市場も音楽市場も、ファンダメンタルズがなくなり、人々に選ばれたものが勝ちであり、その勝ったものに価値を認める社会になっているということだ。すなわち、日本社会における価値とは、ファンダメンタルズになく、人気にあるということだ。
このことが、バブルが生まれやすい土壌を築いているともいえる。そして、流行が移ろいやすいということでもある。
本を出すことについても、同じことが言える。昔に比べて、山のように本の執筆依頼が来るが、それは私が有名になったからではなく、本を書くことのハードルが下がったからだ。昔は、本を出すことは大変なことだった。いい企画だと持ち込んでも、ほとんど断られるものだった。編集者という目利きの基準をクリアできないのだ。
今は違う。何でもいいから出してくれ、と言われる。実績がなくとも、持ち込めば、出せる可能性は昔よりも高い。そして、昔よりも売れる可能性はきわめて低い。なぜなら、目利きがなされていないから、あまりに選択肢が本屋やアマゾンにあふれすぎ、ランキングなどで選ぶ以外に選ぶ方法がなくなっているのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら