最後はやっぱり日本いいなあ
田中:アメリカから日本を見ると、本当に見え方が変わりますよね。
為末:僕、アメリカで最初にビックリしたのが、たしか渡米した初日にスーパーに行ったときなんですが、店の前でガールスカウトの格好をした小学生の女の子が手作りクッキーを売ってたんです。売上金を寄付したり、活動費にするんですね。その子のプレゼンがめちゃくちゃうまいんですよ。
僕、自分ではしゃべるのが結構、上手だと思ってるんですが、全然相手にならないぐらい。クッキーを掲げて、「あなたが買ったこのクッキーが何をもたらすかを想像しみてください!」みたいなことを言ってる(笑)。それがかなり衝撃的でした。
田中:あっちの人は小さい頃から鍛えられてますから(笑)。
為末: アメリカで生活を始めた頃は、アメリカ最高!って感じだったんですけど、3年目ぐらいから変わってきました。日本の特徴が見えてきて。
東日本大震災が起きたとき、アメリカ人は日本人にビックリしてたんですよ。リーダーがいないのに一人ひとりが瞬間的に空気を読み合って、全体が調和して動いている、暴動も起きないって、アメリカ人からしたらありえないことで、「これ、誰が指示してんの?」「どうやって成り立ってんの?」って不思議がっていました。
よく「日本はリーダーが不在」と言われますが、もしかすると「リーダーが必要とされない社会」でもあるのかなあって。リーダー不在が悪いばかりではない。危機的状況でもないのかなとか。
まあ、個人が型にはまっている、はめられているという悪い点でもありますが。原発の是非みたいな、どっちにも振りがたい問題を議論で決めなきゃいけないときには、悪い点の弊害が出てきてしまうと思うんですけど。
田中:日本の特徴が良くも悪くも見えてきますよね。
為末:どうしてもアメリカにいるときは日本が悪く見えるんですが、最後はやっぱり日本いいなあって思えてきます。
田中:それで日本に戻って来られた、と。
為末:もうひとつ理由があります。僕はスポーツ外交のようなことをやりたいと考えているんですね。たとえば、紛争している国同士でスポーツイベントをすると、体を介した経験をすることで紛争が本格化しにくい。そういうスポーツ平和学みたいなものが今、生まれているんです。
それでアメリカでIOC(国際オリンピック委員会)のパーティに初めて参加したら、全然相手にされなかったんですよ。僕と同じ銅メダル2個取ったぐらいの人なんて、めちゃくちゃいる。もう金メダル何個という世界で。僕はこの国際舞台に入っていくためのライセンスがないんだと痛感しました。
でも、そのパーティで日本のあるスポーツ用品メーカーの社長さんは十分相手にされていたので、僕も日本に戻って、何かしらの肩書を持てば国際舞台で武器になると思ったんです。やっぱり肩書がないと厳しい。もちろん、自分のプレゼン不足もあったんですけど。
田中:なるほど。
(構成:上田真緒、撮影:梅谷秀司)
※ 続きは2月26日(火)に掲載します
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