為末さん、スポーツ界は息苦しいですか? 「無菌型」の管理が、体罰へつながる

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田中:為末さんは2012年6月に引退されました。引退って、サッカーのカズ選手のようにとにかくできる間は続けるという美学と、野球の新庄選手のように早めにセカンドキャリアに行くという2種類があると思うんですが、為末さんは引退をどう考えていらっしゃいましたか?

為末:僕は若いときは、最高のときに引退したいと考えていました。「美しいまま死にたい」みたいな(笑)。でも、実際に終わりが近くなってくると、そんなに割り切れるものではなくて、結局、最後は損切りなんですよ。

田中:はい。

為末:もしかしたら、もう1回、跳ねてくれるんじゃないかという期待がずっと続いていて、どの段階で損切するか。最後のほうは淡い期待がありながらも、やり切った感、納得感みたいなものが欲しくなる。今の体でできる最高の成績を残してみたいという思いです。

僕は北京オリンピックで引退しようと思ってたんですが、その思いがあってロンドンを目指したんですね。でも結局、ロンドンに行けなかったので、かなわなかったんですけど。

4年間、必死にやってみて損切りしやすい気持ちにはなりました。もう1回、跳ねるチャンスなんてないというのが体感的にわかったんです。

田中:それはやってみてわかったということですか?

為末:これ以上続けても、可能性はなくはないかもしれないけど、相当低そうだなあというのが肌でわかった。

ハードルは10台あって、僕は1台目が得意だったんです。選手は10台を均等に練習するんじゃなくて、どこかに集中して練習する。僕は徹底的に1台目を練習していたんですが、日本選手権の予選で1台目で転んでしまった。これ1本で生きてきた人間が、それが通用しなくなったみたいな感じで、すごい清々しかったです。ああ、もうこれで終わったんだなあって。

アメリカに行って、日本の見え方が変わった

田中:今、振り返っていただいて、ロンドンで引退するのと、その前の北京で引退するのと、どちらがよかったですか?

最新著の『走りながら考える』。25年間の選手生活を振り返りながら、自己鍛錬の考え方などを記している

為末:もし北京でやめていたら、ビジネスをやるために勉強して、今頃は少しやっていると思います。成功してるかどうかは別として。で、今よりもうちょっと社会がわかっているかもしれない。それがこの4年間で失っていることです。

反対に、得たものもあります。3年間、アメリカのサンディエゴ(カリフォルニア州)で練習したので、それなりに英語が理解できて話せるようになりました。

それと、日本を外から見て、日本の見え方がまったく変わりましたね。西洋社会、少なくともアメリカと日本との対比ができるようになり、やっぱり自分は日本人だなあと思って日本に戻ってきました。

競技に関しては、どっちで引退してもよかった気がしますが、ロンドンまで続けたことで未練は軽減されています。

田中:私もアメリカのバークレー(カリフォルニア州)に2年半ぐらい行ってまして、サンディエゴは1~2回行ったことがあります。

為末:バークレーって競技場のトラックが黄土色の? 僕、そこで練習しましたよ。トラックしか覚えてないんですけど(笑)。

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