熊本の球児招き、福島で「もう一つの甲子園」 王貞治さんも「被災地」の野球少年に熱い応援
青山リトルシニアの宮下昌己・現監督(中日ドラゴンズなどで活躍した投手。当時は青山のピッチングコーチ)やスタッフに相談すると、「自分たちがどんなに恵まれた環境で野球をしているか、改めて知る良い機会だ」と諸手を挙げて賛成してくれた。
所属会社の社長も、10年継続することを条件に快諾して主催を買って出てくれた。準備期間はないにひとしかったが、社内の人たちなどにも手伝ってもらい、8月開催にこぎ着けた。宮城・福島から6チームを、千葉県にある青山リトルシニアの専用グラウンドに招待。東京・千葉の3チームも含め、計9チームで2日間にわたって熱戦を繰り広げた。
佐野さんは今でも2011年の第1回大会のことが昨日のことのように蘇るという。
例えば、宮城・気仙沼のリトルシニアは、チームの大黒柱である3年生のキャプテンが亡くなり、監督も妻と長男を亡くしていた。半数の子たちの自宅が、全壊や半壊になってしまっていた。
それでも「野球をする機会をつくってくれてありがとう」と、みんなで千葉まで出てきてくれた」(佐野さん)。懇親会のスピーチでは、津波にさらわれて亡くなった祖父母のことを思い出し、言葉が出なくなってしまった子もいた。みんなで泣いた。
今や、さまざまな人々の協力によって成り立つ大会になったが、2013年の第3回大会からは毎年、王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長がメッセージを寄せてくれるようになった(その他、第1回には工藤公康現ソフトバンクホークス監督が激励に来てくれるなど、著名な野球関係者やアーティストなども多数)。
「被災した皆さんは本当に大変だと思う。いろいろあると思う。でも、前に進むしかない。ぜひ皆さんには力強く前に進んでほしい」(王会長)。
今年の大会向けのメッセージでも「大震災から5年がたった。『絆甲子園』を、よりインパクトのあるものにして、地元の皆さんだけでなく、多くの関係者に親しまれる大会にしてほしい」とエールを送ってくれている。
たくましくなった被災地の子供たち
実は「絆甲子園」は2014年の第4回大会からは「いつまでも招待を受けてばかりでは、いけない。大震災から時間が経って、少し元気になったところも見てほしい」という参加チームの一つ、石巻リトルシニアの申し出により、第4回と昨年の5回は宮城県・石巻で開催した。
今年は、4月の熊本大震災で被災した熊本・益城町のリトルシニアのチームを招いて、福島で開催することになったが、福島の関係者は自主的に募金活動をして100万円を集めたという。これは、過去2年間、被災地の石巻の子供たちが、「今まで千葉に招待してくれた恩返し」、とばかりに地元開催で頑張ったことに触発されたことが大きいという。
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