中曽根元首相は若い頃から、政権を担ったときの政策構想から首相としての振る舞いに至るまで、注意事項をノートにメモして研鑽を積んできたことで知られる。再登場の安倍首相も2007年の辞任の後、「気づいた反省点や教訓などをその都度ノートに書きつづった」と朝日新聞が伝えている(1月27日付朝刊)。
「雌伏の5年」での脱皮や弱点克服の努力の跡を知ることができる「安倍ノート」の中身は興味深い。
尊敬する祖父の岸元首相、長期政権を築いた佐藤、中曽根、小泉の3元首相などから「歴史の教訓」をどう読み取るかといった記述もあるかもしれない。それだけでなく、第2次内閣の組閣や船出の舵取りを見て、もしかすると、もう一人、小渕元首相も手本にしているのではないかと思った。
1997年秋の金融危機の8ヵ月後、どん底の景気で登場した小渕氏は、組閣で宮沢元首相を蔵相に迎え、「なんでもあり」といわれた大型の景気浮揚策や金融再生策を実行した。効果が出て、小渕内閣は99年夏には絶好調となった。安倍首相も組閣で麻生元首相を財務相に起用する一方、「なんでもあり」と思えるアベノミクスで脱デフレに挑む構えだ。
安倍首相は就任1ヵ月後に66.7%の高支持率(1月28日発表の共同通信調査)を弾き出したが、小渕氏は「冷めたピザ」とからかわれ、超不人気で出発した。小渕氏を「真空総理」と呼んだのは中曽根氏だ。「中が真空だから、なんでも吸い込む吸引力がある」と絶妙の表現で評したが、「低い重心」が持ち味だった。
安倍首相が「やがて絶好調」となるには、小渕氏のような「吸引力」と「低い重心」を心がけることが重要だろう。
もう一点、安倍首相と小渕氏には「健康不安を抱えて登板」という共通点がある。小渕氏は87年秋に心臓病を患い、10年後に首相となったが、在任1年8ヵ月で病に倒れ、直後に他界した。
「画期的新薬で回復」と強調しているが、5年前に健康悪化で辞任し、持病を抱えたまま再登場した安倍首相は、小渕氏から「歴史の教訓」をどう学んだのか。
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