「みんなに好かれたい病」の呪縛から解脱せよ 自分の優先順位をいったん決めてしまう

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バブル期に大学を卒業して三菱商事に就職してからも、「好かれたい病」は続いていました。ちょうど男女雇用機会均等法が施行されて3年目。女性が一般職と総合職に分けて採用されるようになって間もない頃で、総合職はまだまだ少数派。150人いた同期のうち女性総合職は私を含めてたった2人だけ。そういう環境で、私にはやらなければいけないと思ったことが2つありました。まずはプロとして仕事をきちんとするということ。もう1つは仕事の場でみんなから好かれるということ。

特に気を使ったのは女性の同僚に対してです。一般職として入社した女性たちの中には、慶応の経済や早稲田の政経卒の女性もいました。さらに言えば、私の小中高校時代の同級生もいました。子どもの頃は彼女たちのほうが成績はよかったくらいなのに、彼女たちは一般職で、私は総合職。お互い「なぜここで線を引かれるのだろう?」と違和感を覚えている。ここで私が「あなたたちとは違うのよ」という態度をチラッとでも見せようものなら、「岡島さんって、就職してからイヤな感じになったよね」と言われることは明らかでしょう。

女性総合職として生きる2つの道

本来なら女性総合職として、私の進むべき道は2通りありました。

まずは、「あの人は別格だから」と言われ、彼女たちから尊敬はされるものの遠ざけられるという働き方。もうひとつは、「あの人は別格だけど、いい人だから」と彼女たちの仲間に入れてもらう働き方。いろいろな経験を積んだ今の私なら、前者を選ぶ勇気もあります。でも若かった私には、後者の方法しか選ぶことはできませんでした。しかしそれはとりも直さず、仕事に100%集中できないということ。私の毎日は煩雑を極めるようになりました。

たとえば、お昼ご飯を誰と食べるかにしても、週に3回は上司と、残り2回は女性の同僚と食べるというように、必死でバランスを取っていました。本当は、「若手のうちは日々修業。プロなら有給休暇なんて取っている場合じゃないぞ」という雰囲気だったにもかかわらず、女性の同僚と休暇で海外旅行に行ったり、週末は会社のスキー部三昧だったり。

しかしその一方で、コーポレートファイナンスという専門性の高い仕事をしていたので、年の離れた経験豊富な先輩たちとの歴然とした能力差を痛感し、とにかく長時間働くことで結果を出そうと夢中で働き、毎晩終電近くまで残業していました。生産性の高い働き方といったことはまったく考えられておらず、残業時間の多さがカッコいいとさえ思っていたほどです。

こんな日々もそれはそれで楽しかったのですが、仕事も人付き合いもが200%頑張るというむちゃな生活は、体力に任せた非効率な働き方であり、病気こそしなかったものの持続可能とは思えず、はっきり言って破綻していたと思います。

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