本当に歌や踊りがプロの域に達してしまったら、
それはもうアイドルではない
長嶋茂雄さんという偉大なスターがいらっしゃいますが、それでもやはり、日本人がスマートな天才よりも、泥臭い努力の人を愛してきたことに、異論がある人はいないと思います。
21世紀の世の中になって随分と経つのに、いまだ甲子園で戦うのは坊主頭の球児たち。彼らがユニホームを土に汚し、間に合わないと知っていてもベースに頭からスライディングしていく姿にこそ、この国の人は「和の魂」を感じてきました。
もしこれが、茶髪でロン毛の選手たちが「いや練習なんて嫌いなんスよ」と言いながら試合していたとしたら。とっくに甲子園のスタンドはガラガラとなるか、あるいは女性ファンばかりになっていたことでしょう(どうも女性は同性については“たたき上げ”を支持し、異性に対しては“持って生まれたもの”を評価する傾向があるようです)。
というわけで、芸能の世界でも支持されるのは「努力の人」。とりわけアイドルともなると、それはもはや「努力している姿を常時見せる職業」ともいうべき存在でした。
そのあり方はとても複雑で「頑張って本当に歌や踊りがプロの域に達してしまったら、それはもうアイドルではない」という、パラドックスをはらんでいる。彼女(彼)らは「努力して未完成の姿を見せる」という不思議な頑張りをする人たちでした。
この伝統を究極まで突き詰めたのが、もちろんAKB48です。
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