桜井俊氏、次第に変わった翔氏への「思い」 都知事選出馬を固辞し、別荘でのんびり?
「えらい困っていましたよ(笑)。翔さんは親に内緒でオーディションを受けて、事後承諾みたいな感じで勝手にジャニーズに入ってしまったらしくて。
嵐としてデビューして、かなり売れていたころだと思うんですけど、そのときでもぼやいていましたよ。当人としては翔さんを外交官とかそっちのほうに就くように、慶應幼稚舎に入れさせたわけだからね」(談之助)
それでも息子のアイドル活動を当初、クラブ活動の一環のように考えていたという桜井氏。「どうせ売れはしないだろう。高校に入って、(ジャニーズでは)ダメになってやめて戻ってくるだろう」と見ていたようだ。
ところが翔は'99年、17歳で『嵐』としてデビュー。桜井氏の思惑を尻目に、本格的にジャニーズアイドルとして道を進み始めた。その間も「学校はやめるな。絶対に卒業しろ」と、学業をおろそかにすることを決して許さなかった。 やはり芸能活動をやめて、堅実な道を進むことをどこかで願っていたのかもしれない。
ジャニーさんと桜井パパの微妙な空気
そして'04年12月、松本潤や大野智らと共演した舞台『WEST SIDE STORY』を、桜井氏が観劇したときのことだった。『嵐、青春プレーバック』(主婦と生活社刊)でも当時のことに触れているが、作中には掲載しきれなかったウラ側を当時のスタッフが語る。
「たしか千秋楽の日に家族全員で見に来たんですよ。楽屋を訪ねてきて、そこで初めてジャニー喜多川社長と会ったらしくて、櫻井くんが“あ、これ家族です”“あ、どうも”みたいな。ジャニーさんと櫻井くんのお父さんとの間で、何となく微妙な空気があるわけですよね。
お父さんも寡黙な人で“芸能活動、反対”って、なんとなく想像がついたキャラクターのとおりで。芸能界とは対極の世界で働く人だから、しょうがないですけど」
桜井氏にしてみれば、ジャニー社長は翔を芸能界に招き入れた張本人。やはりすぐさま意気投合というワケにいかないのは、当然のことだろう。
「櫻井くんはその変な空気の中でなんとなく気を遣ってか、“お父さん、どうだった?”っていちおう聞くじゃないですか。“いいんじゃない”ってひと言、お父さんが答えて。そこにこの家族の空気というか立ち位置が集約されているなって思ったんです。
親の賛成や反対があって、まだ認めてもらってないけど、でも初めて主演を務めて最後までやりきって。そこでお父さんの“いいんじゃない”っていう答えがあって。そのたったひと言ずつの会話で、2人の長年の歴史の中でしかわからない、深いレベルでの言葉のやりとりがあったんですよね」(前出・スタッフ)
翔がジャニーズに入所して10年、父子間の“確執”が解け始めたころだった。そして2年後に開催されたソロコンサート観覧時には「おもしろかったですねぇ」と、やわらかな笑顔で帰っていく父の姿があったという。
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