「ズルい生活保護者」には働けないワケがある 人が「貧困」に陥る3つの無縁と3つの障害

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加えて貧乏から貧困に落ち、そこに固定してしまう人(主に取材対象は女性だったが)にはいくつかの共通点があることを指摘した。その共通点とは、3つの無縁と3つの障害だ。3つの障害とは「知的障害、発達障害、精神障害」、しかも明確に症名が診断されるものではなく、むしろ見過ごされがちな「ボーダーライン上の障害」を抱えていること。一方で3つの無縁とは「家族との無縁、地域との無縁、制度との無援」。つまり、頼れる家族も力になってくれる友人もいなくて、そもそも面倒な申請を伴う公的扶助などに自力でたどり着き獲得する能力を失っている。3つの障害があれば3つの無縁にもつながり、こうした条件がいくつも重なって、人は貧乏ではなく貧困に陥るのだと、経験則的な結論を出した。

だがここで問題なのは、このような状態で働けなくなった人たちは、一目見て働けないように見える人だろうかということだ。

答えは、否である。少なくとも僕が取材した貧困女性に、見てわかる身体障害を抱えた人はいなかったし、重病を診断されて闘病中という人もいなかった。おそらく一目でわかるのは、「この人ぐらい面倒くさい性格だと、どんな職場にもなじまないだろうな」という直感ぐらいだ。

だが取材を続けるほどに痛感するのは、彼ら彼女らは、見た目ではわからない大きな傷や痛みを抱えた人たちだったということだ。見た目には五体満足でも、働けないほどに大きな心の痛みを抱えていて、ずっとずっとその痛みから逃れられずに苦しみ続けている人たちなのだということだった。

つまるところ、導き出されるのは、このすさまじい貧困者への差別や生活保護バッシングの根底にあるのは、そもそも見えづらい痛み、見えない痛みを抱えた人たちの存在と、目には見えない痛みを「ないもの」にしてしまう人々との対立なのではないかということだ。  

なぜ人はアルコール中毒になるのか 

ここでようやくK君の祖父の話を持ち出したところに帰結できる。そもそもアルコール依存症は治療の必要な脳の病気だが、その前段としてK君の祖父がどうしてそこまでアルコールに逃げてしまったのか。連れ合いの死か、そのほかにK君も知らない苦しみがあったのか。よくよく考えてみれば、たとえば薬物中毒者にも当てはまる。

なぜ人はアルコールや薬物の中毒になるのか、弱いからだという人もいる。快楽主義者という人もいる。だがたとえばこんなシーンを想定してほしい。

戦場で兵士が爆発に巻き込まれて足をもがれて、凄絶な痛みにもがき苦しんでいる。前線は移動し、周りには味方も敵もいない。ただただ、痛みに苦しみ、死を待つばかりのとき、その兵士は何を思うだろう。いっそ殺してほしい。いっそ死んで楽になりたい。

そんなときに目の前に、その後に死ぬほど苦しむのがわかっていても、一時的にその苦しみを緩和してくれる何かが与えられたとき、その兵士は手を出すだろうか出さないだろうか。この差し出されたものが、アルコールであり薬物だ。

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