実際にK君の母と祖父に直接取材をすれば、さらに違う何かがわかったかもしれない。こんなことは当然なのだが、取材記者としての僕も駆け出し時代はずいぶんとこの伝聞の人物像に惑わされたことがある。報道によって切り取られた人物像というのは視聴者や読者にとっては同じく記者を介した伝聞だから、これはこの連載の初回で提言した「貧困者のコンテンツ化」が抱える問題にもつながる。
だがここであらためて提起したいのは、また別の問題だ。第一に、この祖父は働「け」なかったのか、働「か」なかったのか。
前回、K君に、旅する人類のたとえをもって説諭したとおり、生活保護制度には、社会を維持存続させる人材を守るという大義名分がある。ご存じのとおり受給は申請すれば通るというものではなく、無業の無資産無預金状態であるとか、扶助を求められる家族親族がいないだとか、所持する現金が一定額を割り込んでいるとか、条件がさまざまにある。
不正受給うんぬんの話があるのも確かだが、K君の祖父は継続して生活保護を受けていて、そこに地元のケースワーカーの怠慢があったとか、不正受給のコーディネーターが介在したとかいう話ではなさそうだ。
はたしてK君の祖父は、働「け」なかったのだろうか? K君は仏頂面で返す。
「働けましたよ。働かなかっただけです。ケガをしたことでちょっと手が動きづらいとかなんで、左官職人は無理っぽいですけど、毎日、けっこう距離ある自販機まで歩いて行ってワンカップ買ってくることができるヤツが、なんで働けないんですか? それどころか、たまに知り合いの軽トラ借りて無免許で近所まで乗ったりもしてたんですよ? なら免許取れよジジイ。レジ打つとか軽い物運ぶだけぐらいなら、働けたはずじゃないですか?」
なるほど、だが僕は、それでもK君の祖父は働「け」なかったのだろうと、思う。K君の祖父に直接会うことができない(もう亡くなっているので)以上、断言はできないが、これまでの取材の中で会った生活保護受給レベルの貧困にある当事者や、すでに受給中の当事者は、外見や行動を見るかぎりは働けそうにみえても、実際は働けないという人が多かった。「少なからずいた」ではなく、明らかに「多かった」。
「貧困」と「貧乏」の違いは何か
拙著『最貧困女子』(幻冬舎)で、僕は極度の貧困状態に陥ってセックスワークの中でも最底辺の売春で糊口をしのぐ女性たちのルポをまとめ、いくつかの提言をした。
まず貧困と貧乏は違うということ。これは多くの貧困の支援者が言うことだが、貧乏とは単に貧しい状態を意味するが、カネがなくても周囲に助け合う仲間や家族がいたりすればそのQOL(生活の質)は高く、決して「困」ではない。対する貧困とは、貧しいうえに苦しみを抱えた人たちで、その貧しさから抜け出せずにずっともがいているような状況を言う。
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