根深いアラブとキリスト教文化圏の対立
社会的マイノリティとしてキリスト教文化圏で過ごすムスリムの人々は、日々強まる白人社会からの白い眼に緊張を高めている。アリさんはパレスチナ人が某隣国による直接的空爆や、そこを支える某超大国による間接的攻撃に憤っており、ムスリムが中国のように力のある一つの大国でないから欧米に侮られ、やりたい放題殺されていると憤慨する。
本当かどうか知らないが、アリさんは、「オスマントルコ帝国のような大きなムスリム国家が再度誕生するのを防ぐため、欧米は分断統治政策を帝国主義戦争時代のようにあからさまな形ではないにせよ推進しており、イラク進攻やジャスミン革命もイラクやエジプトのような大きな国が国内の細分化につながるように仕組まれた陰謀で、ムスリムの団結が政策的に阻まれている」と語っていた。(エジプトなどで革命がおこったが、イスラム原理主義が政権をとり革命が間違った方向に進んでいると、アリさんのみならず、複数のムスリムの友人が私に語っていた)
なおイスラムのイメージはキリスト教文化圏で大きく歪曲されており、コーランはもともと女性の権利を強化する聖典であり、コーラン以前は奴隷扱いだった女性の権利を大きく向上させるものだったという。スカーフを着用するのも、サウジアラビアでされるような黒い布で女性が全身を覆うのも(ちなみにサウジアラビアの女性の友人曰く、慣れたらこれもなんてことはないそうであり、別に私がサウジの文化を批判しているわけではないのを付け加えておく。私は、サウジアラビアを含むムスリム文化圏が大好きです)全然、コーランに書かれているわけではないと。
印象深かったのは私が「フランスが嫌いか」と聞くと、「自分はフランスで生まれたし、国籍もフランスなので当然好きだ。自分たちは好きなのに、一方通行の片思いなので、フランス社会にもっと受け入れてほしい」とアリさんは語っていた。
こうして私はちょっと長距離の移動だったのでタクシー代で130ユーロも払ったのだが、上記のような欧州に住むムスリムの人々の現場の声を聞くことができ、それを親愛なる東洋経済の読者の皆様にお届けできたことを喜ばしく思う。日本に住んでいるとヨーロッパや中東のことなど全然気にならず、ニュースになることも少ないが、ご安心いただきたい。
今年は私が今のヨーロッパ社会の現状を含め、香港、シンガポール、ヨーロッパで起こっていることを皆様にお届けするので、ぜひご愛読いただけると幸いである。
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