――「レ・ミゼラブル」ミュージカルの初演は1985年。それから世界中でロングランを続ける大ヒット作ですが、その間には当然、映画化のオファーなどがあったのでは?
「レ・ミゼラブル」がブロードウェイや日本で開幕した頃(1987年)には、(ソニー傘下の)トライスター・ピクチャーズとの契約が決まっていて、すでに映画化の話は進んでいた。私は(『ダウンタウン物語』『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』『エビータ』など、数々の音楽映画の傑作を発表した)アラン・パーカー監督に任せたかったし、彼もOKの返事をしてくれていた。
だが、一方でもう少しショーが世界的にヒットしてから映画化をしたいという気持ちもあった。そこで映画化を5年間、保留してくれという話し合いをしたが、その5年の間にアラン・パーカーが降りてしまった。その後も、他の監督でやろうという話が出たが、結局うまくいかなかった。時間が経ち、再び私のところに映画化の権利が戻ってきた。
――それから20年以上の月日が経ちました。
80年代は、ミュージカルというものが愛好家向けのものだった。年寄りが見るもので、若い人が見るようなものではなかったともいえる。しかし、ここ10年の間に「アメリカン・アイドル」のようなタレント発掘番組などが生まれてきて、若い人たちがミュージカルに興味を持つようになってきた。
同時にその10年の間に『ムーラン・ルージュ』や『シカゴ』『マンマ・ミーア!』『エビータ』『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『オペラ座の怪人』と、いろいろなミュージカル映画が出てきた。そういうミュージカル映画を取り巻く環境が整ってきたところで、今回の『レ・ミゼラブル』の映画化につながった。80年代にうまくいかなかったことも功を奏し、ヒュー・ジャックマンやアン・ハサウェイなど、ベストのキャストを揃えることができた。
――俳優の生の歌声にはかなりこだわったとか。
もし80年代に映像化をしていたら、撮影現場で俳優たちが生で歌を歌う「同録(同時録音)」技術は不可能だっただろう。きっと従来の、別の日に歌を録音して、それに合わせて口パクで演技をするようなやり方をとっていたと思う。『レ・ミゼラブル』はすべてのシーンが歌で作られている。だからたとえば3カ月前に録音したものに合わせて、みんなが口パクで演技をしたとしても、まだどういう演技をするのかも決めていないし、共演者にも監督にも会ってない時点で歌だけ先に録音するなんてありえない。
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