R25からLINEまで。日本最強のメディア野郎 新世代リーダー 田端信太郎 NHN Japan 執行役員
何でもやり始めると、とことんはまるのが田端の性格だ。インターネットという恋人を見つけると、大学そっちのけでネットにのめり込んだ。
半年後には、自分でウェブサイトを作れるようになった。もちろん、アルバイトにもネット関係の仕事を選んだ。最初は、ホームページプロデュース講座の補佐として、時給1500円を稼いだ。自由時間にネットが使いたい放題というのが、このバイトの魅力だった。
田端がめきめき腕を上げていくと、次第にウェブサイト制作の仕事が舞い込むようになる。バイトを辞めて、自宅で制作を請け始めたところ、ひと月の稼ぎは30万〜40万円に上った。大学は留年してしまったが、田端にとっては充実の日々だった。
「このまま大学を中退してしまおうか」――そう考えることもあった。
NTTデータは意外とぬるくなかった
当時は、山一證券、北海道拓殖銀行の倒産が世間を騒がせていた頃だ。たとえ慶応を出ても、就職先があるかはわからない。しかも、すでにサラリーマンの初任給より多く稼いでいるのに、なんで暑い中、ネクタイを締めて、スーツを着て、就活しないといけないんだ、とも思った。
ただ、実家に帰ると「お前、リクルートスーツ買わなくていいのか」と親に強く言われてしまった。そこで、社会勉強も兼ねて2、3ヵ月遅れで就活をスタートしてみたところ、これが意外と面白かった。
「いざとなったら、フリーランスのウェブ開発者になればいいやと思っているから、頭を下げて会社に入れてもらおうとは思わないわけです。面接で『オタクの会社の採用ページはちょっといけてないです。こう直したほうがいいですよ』とコンサルをし始めたら、相手が面白がってくれて、面接も合格続き。しかも、いろいろな女の子とも知り合えて、楽しくなってしまった(笑)」
最終的に4、5社から内定をもらい、ソフトバンクかNTTデータかのどちらかで迷ったが、「新卒でないと入りにくいだろう」ということで、後者を選択した。
NTTデータでは営業を担当し、ビジネスのイロハを学んだ。パワーポイント、エクセルの使い方から、事業企画書の書き方まで、基礎を徹底的に叩き込まれた。
「ビジネスマンとしての修行時代でしたね。入る前は、ぬるい会社なのかと思っていたんですが、物理的には今までで一番働いたと思います。終電に乗れればラッキーみたいな感じでした。このときの先輩、上司にはものすごく恩義を感じています。私が一番使えなかった時に鍛えてもらったので」
NTTデータで2年弱を過ごした頃、日経新聞の日曜版で一つの広告を見つける。それは、リクルートがネットベンチャーへの投資を行う次世代事業開発室のメンバーを募集するものだった。
「インタ―ネットも大好きだし、ファイナンスやビジネスの基礎も学んだ。この仕事は俺にぴったりなのではないか」――そう思って応募したところ、とんとん拍子で面接が進み、2001年2月にリクルートへ入社することになった。