R25からLINEまで。日本最強のメディア野郎 新世代リーダー 田端信太郎 NHN Japan 執行役員

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“メディア野郎”としての田端の原体験は、石川県小松市で過ごした学生時代にある。

三度のメシよりも本が好きだった田端少年は、暇があれば家の近くの本屋に入り浸った。エロ本、マンガといった柔らかい本から、講談社ブルーバックス、辞典といった堅い本まで、あらゆる本を読みふけった。

「一日に3、4時間平気で本屋にいました。立ち読みですから超迷惑ですよね(笑)」

ただ、田端少年のどでかい好奇心は、田舎の小さな書店には収まりきらない。土日になると、金沢の書店にまで繰り出した。距離にして、25キロメートル。お金を節約するため、電車は使わない。自転車で往復5、6時間かけて書店に通いつめた。

「情報に対する飢餓感みたいなものが、自分の根っこにあるんです。本当にパワーを持て余している田舎者みたいな感じでした」

田端が愛したのは活字だけではない。夜には、父親の短波ラジオを借りて、深夜ラジオを楽しんだ。そこから伝わってくる東京の情報を聞けば聞くほど、東京への憧れが募った。いやがうえにも、地元と東京の情報格差には敏感になった。

「『この番組は東京有楽町のニッポン放送からお届けしてます』と言うアナウンスを聞くと、有楽町って、楽しいことが有る町だから有楽町なのかな、なんて勝手に妄想していました」

"ネット野郎"としての覚醒

そんな超メディアっ子だった田端が、東京の大学を受験するのは自然の流れだった。クラスメイトの多くが、地元や関西への進学を目指す中、東京への進出を心に決めていた。

無事、受験をクリアした田端は、慶応大学経済学部へ進学することになる。念願の東京進出を果たすと、思う存分、都会の本屋を堪能した。日課は、渋谷に通い、青山ブックセンターやレコード屋などを歩き回ること。学校にはほとんど行かず、渋谷に入り浸った。

そして大学2年のときに、衝撃の出会いが訪れる。インターネットとの邂逅だ。

ある日、大学で語学の授業を受けるため語学センターのロビーにいた時のことだ。そこで流れていた米CNNのニュースを見ると、一人の若者がインタビューに答えていた。その人物とは、ブラウザのネットスケープを開発したマーク・アンドリーセン。わずか23歳の若者が創った会社が上場し、一夜にして億万長者になったというのである。

「それを見た瞬間、なんか海の向こうですごい事が起きている気がして。インターネットですごいことが起きると直感しました」

そのニュースを見るやいなや、秋葉原にマックを買いに走った。ここから田端の“ネット野郎”としての顔が花開くことになる。

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