アトキンソン氏「スポーツ産業の課題」を語る 日本のスポーツは観光並みに伸び代だらけだ
では、なぜアメリカのスポーツビジネスは「成長産業」になったのでしょうか。産業としてやるべきことをしっかりとやった。これに尽きるのです。
アメリカでメジャーリーグなどを観戦した方ならばわかると思いますが、スタジアムはさながら「巨大飲食店街」というほど、さまざまな食事が販売されています。また、ただ試合が行われるだけではなく、歌や音楽演奏といったエンターテインメントもしっかり提供されています。つまり、観客には野球以外にもさまざまな楽しみがあるのです。
私もニューヨークで働いていた当時、お客さんや同僚に誘われて何度かスタジアムに行きましたが、もともとそれほど野球に興味がないということもあって、試合はほとんど見ませんでした。商談をしたり、食事をしたり、音楽を聴いたりと、「にぎやかで楽しいスポットを観光した」という印象です。
では、日本の野球場やサッカー場はどうでしょう。さまざまなイベントも催されていますが、基本的には「試合」がメインで、観客は喉を枯らして応援して、試合を真剣に見つめています。食事も軽食程度しかなく、ジュースを買うのに列に並んだりしなくてはいけません。つまり、観客には「スポーツ観戦」以外には楽しみがないのです。
スポーツ観戦に来ているのだからそれで十分だろ、と怒りの声が飛んできそうですが、これでは「産業」としての成長は望めません。「多様性」が欠けているので、スポーツをこよなく愛する「ファン」しかやってこないからです。
「ファン」の数は、人口が減少すれば当然、それにともなって減っていきます。観客が減れば収入も減りますので、設備などにおカネがかけられません。なおさら「ファン」しか来ないという悪循環に陥っていくのです。
この構造をどこかで見たなと考えていると、自分のいる文化財の世界とよく似ていることに気がつきました。
スポーツ産業と「文化財」の共通性
これまで著書でくりかえし述べてきましたが、これまで日本の文化財は「保存」に重きを置き、「客に学んでもらい、多面的に楽しんでもらう」という発想が欠如していました。
ですから、神社やお城の中は「撮影禁止」「立入禁止」という禁止事項のオンパレードで、そこで起きた人間ドラマを再現するようなアトラクションもなければ解説も整備されておらず、一部の「歴史ファン」や「伝統建築ファン」にしか支持されてきませんでした。一般の方からすれば、「順路」という矢印に沿って、なんとなく歩いてまわるだけの退屈な施設だったのです。拝観料も安いため収入も少なくて困るところが多く、どこも施設の維持に苦労しています。
日本のスポーツ産業も、これとまったく同じではないでしょうか。
とにかく「選手がいいプレーをする」ということに重きを置くあまり、「客を楽しませる」という発想が欠けていないでしょうか。
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