「政治という領域がないフリ」からの卒業?
これらの人は文化に政治を持ち込んだ〝いけない人〟なのでしょうか? しかしラヴェルのように、作曲家とは個人だけではなく民族も意識しなければならないと考えていた人もいました。また、文学者でありながらワイマール公国の宰相を務めたゲーテのような人もいます。
昔だけではありません。反戦、公民権運動に身を投じ、ニクソン大統領を敵にまで回したポール・ニューマンはどうなる。
2012年の大統領選でロムニー候補を応援する一人芝居を行った(しかも評判が微妙だった)クリント・イーストウッドは? スーダンの紛争を平和に導こうとして個人で活動しているジョージ・クルーニーは? これらの人は政治と文化を混同している、異端児なのでしょうか。
おそらく「文化と政治は別」と感じる人は、本当にそのとおりに考えていらっしゃるのでしょう。それも大事です。
しかし社会の現実から逃避して、純粋に空理の世界に遊んだ古代中国の清談が、それが一種の退廃でもあったのと同じように、まったく政治の状況を捨て置いて物を作ることができる人がいたら、それは「社会人としてどうよ?」という話ではないでしょうか? メディアはそんな人を「選挙にも行かない若者」などと批判してきたはずです。
本当のところ、「文化と政治は別」あるいは「文化人が政治にかかわるのはいいが、政治的状況にかかわらず娯楽を楽しみましょう」という思考は、いかにも戦後的なお花畑の思考なのかもしれません。
子どもならばそれでいい。しかし大人ならば「人はそれぞれ政治的な立場を持っている」という現実を受け入れ、そこから交流する。結局それが相手の立場を尊重することにもつながるのではないでしょうか。
オリンピックという場がありますが、あれこそまさに、民族、階級、そしてことのほか宗教によって、長く悲惨な現実に直面してきた西欧社会が、人と国にはそれぞれの立場があることを受け入れているからこそ、生まれた祭典でした。
私たちも「政治という領域がないフリをしてただアーティストのパフォーマンスを楽しむ」という、ある意味不気味な状況からそろそろ卒業したいものだと思うのですが。
撮影:今井康一
【初出:2012.12.08「週刊東洋経済(損しない!生命保険)」】
(担当者通信欄)
2012年は、領土関連ニュースの尽きない日々。政治と文化は別!という人がいる一方で、いわゆるネトウヨが雑誌の特集に取り上げられたり。すっきり水に流して新年スタート……とはいかないテーマ、この一年を振り返りながら考えてみるのもいいかもしれません。
さて、堀田純司先生の「夜明けの自宅警備日誌」の最新の記事は2012年12月10日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、韓国の強さは本物か)」で読めます!
【アメリカ男子も「草食化」】
日本だけじゃなかった…!!草食化のはるか遠くにありそうなアメリカでさえ??『ハンガー・ゲーム』から見えてくるものとは。
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