――そもそもこの作品はどういう経緯で映画化されたのでしょうか。
映画『武士の家計簿』を観たという方から連絡がありまして、「私の故郷・吉岡宿にも、涙なくしては語れない立派な人たちがいたので、本を書いてください」と。それで調査をして「國恩記」という史料を読んでのですが、涙がボロボロとこぼれました。まさに私も感動のドミノに倒されてしまったわけです。
それで(原作となる)「穀田屋十三郎」を書き上げました。その後、京都のある掛け軸屋さんで、居合わせた方に「こんな本を書いたんですよ」と紹介した。その後、その方から「あまりにも感動したので、仙台の東日本放送に勤めている娘に送ったんですよ」と。そうしたらその娘さんも泣いてしまって、親友の女性アナウンサーにまたその本を渡したそうなんです。その女性アナウンサーもまた泣いてしまって、旦那さんにその本を渡した。その旦那が(本作のメガホンをとった)中村義洋監督だったんです。まさに感動のドミノ倒しということなんですよ。
羽生結弦選手も原作に感動して出演を決意
――中村監督とは同世代と聞いていますが。
そうです。初めて会ったとき、中村監督は泣かせることを言ったんですよ。僕とあなたは同い年であり、子どもの年齢も6歳と3歳と一緒であると。だからこの時代に対して同じ責任を負っていると。今どき、なかなかこんなことを言いながら映画を作る人なんていませんよ。まるでNHKで人気を博した番組「プロジェクトX」のようなシーンでしたが、素直に感動しました。だから僕もそれくらいの責任を持ってかかわろうと思いました。
――フィギュアスケーターの羽生結弦さんが殿様役で出演したというのは驚きでした。その辺りの経緯はご存じですか。
映画に出ていただけませんかとオファーを出したそうですが、最初はスケート選手だからということで断られたそうです。そりゃ面食らいますよね。しかし、原作の「無私の日本人」を読まれ、やはり出ようと言ってくださったそうです。羽生君とお父さんが、この話に感動してくださった。これで最後のドミノも倒れたということです。
――羽生さんの演技はどうでした?
気品のある殿様になっていて、とてもすばらしい演技でした。立派なもんですよ。何でもできるんだな、と思いました。
――「賢者は歴史から学ぶ」という言葉がありますが、「この奇跡の物語を後世に伝えなくては」と思ったモチベーションは?
取材の途中で東日本大震災があったことで、その思いはより強くなりました。現地に取材に入った直後に震災が起きたんです。どうしようかと思ったんですが、でもこれは仙台の人たちが自らの力で自分の生活を守り抜いた話だと思ったので、これはぜひとも書かなければと思いました。
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