文化はダーティなところから生まれる 知の「新世代リーダー」 東浩紀 思想家(下)
――いまの大学は知的な場ではない?
いまの大学では人材育成は難しいですね。キャンパスはすぐロックアウトしちゃうし、教授が研究室で学生と酒を飲んでいたら、それだけでパワハラ、セクハラと言われかねない。おとなしくしているしかないですよ。
本当は大学なんてのは、学生が酔っ払って、徹夜で空理空論をしゃべり続けるような場所だったはずなんですけどね。「夜7時になったんで、実家に帰ります」みたいな大学生ばかりで、何が生まれるのかなと。だから、自分で店をやって、空間をつくろうかと。とりあえず、うちの店は金曜日は徹夜で開けるつもりなので、みなさん遊びに来てください。僕もときどき酒飲んでいるはずです。
結局、いまの社会の問題は、過剰にクリーン化が進んでいること。ちょっと組織が大きくなると、コンプライアンスがどうだとか、過剰なクリーン化を求められる。でも、こういうことを言うとまたそれだけでたたく人がいると思うけど、文化ってそもそもちょっとダーティなところからしか生まれないんですよ。
今後は、面白くて先端的なことは、インディペンデントな小さな組織が担うのかもしれませんね。これは、大学だけの問題ではないような気がします。
ネットより、リアルのほうが自由
――確かに最近は、ポリティカリーコレクト(政治的に正しい)ではないことを言うと、たたかれてしまいます。
そうですね。そしてこの流れは、ネットでより強化され、変わりそうにありません。それは、ネットのフェーズが変わってきたから。一昔前は、ネットを使えるのは所得階層が比較的高く、文化的感受性も強い人でした。ネット住民は、実はネットをやっている時点でリアルにフィルタリングされていて、だからこそ面白いことができたという側面がある。
しかし、いまやネットは完全にコモディティ化し、田舎のおばちゃんも中学生も見ている。そうなってくると、なかなか尖ったことはできませんよね。発言するときは、誰にも突っ込まれないようにしなければいけない。物を売るにしても、平均的な国民に売らなければいけない。結局、ネットはいまやリアルな社会と同じなんです。それなのに、情報の拡散スピードだけは何倍も速く、隠れる場所もない。リアルよりも厳しいリアルといった感じです。
だから僕は最近、むしろリアルのほうが自由な感じがしてきて、「ゲンロンカフェ」もその流れにあります。最初はイベント内容をユーストリームで中継しようとも考えましたが、いまはその欲望もない。話を聞けるのは、実際に来るお客さんだけでいいやと。
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